自身を見つめて、信頼できる仲間を得てこそ夢は叶う!

自身を見つめて、信頼できる仲間を得てこそ夢は叶う!エイジアキッチン株式会社 代表取締役 吉﨑英司

渋谷・三軒茶屋という人気のある2つの街で計4店の居酒屋を構える吉﨑氏。家業も居酒屋という恵まれた環境に育ち、20代後半で独立後すぐに複数の繁盛店を育てたという華麗な実績を持つ一方で、若さゆえの大きな挫折も味わったという。
独立して丸8年、若くして豊富な経験を持つ吉﨑氏に、飲食店経営に大切な心構え、夢を夢で終らせない熱い思いをお話いただきました。

第5回 会社存続にも影響するような大失敗。原因は背伸び!?

2店目の「巖」は80席の店舗ですが、売上が月1000万円に達することもあって、オープンの翌々月から利益が出るほど好調でした。1店目の「成ル」も順調で、ドンドン利益が出たんですが、それで調子に乗って大失敗をしてしまいました。

「巖」の1年半後に渋谷と青山の間くらいにある新築ビルに3店目をオープンしました。家賃も坪3万を超える物件で、保証金もドンと払い、内装にも3000万円ほど掛けたのですが、1年10ヶ月で閉店させてしまいました。

創作料理をレストランスタイルで出すという店で、少しアッパーな感じ。ディナーで 5000 円位ですかね。昼にランチ、夕方からはディナー、さらに深夜から朝まで飲めるという営業でしたが、今にして思えば本当に中途半端な店だった。

インタビューいままでは居酒屋のノリで威勢よく開けてたワインを、「失礼いたします」なんて静かに開けちゃったり。そんな身の丈に合わないことをしてしまいました。この店に来た先輩方からもいろいろ言われました。「お前の店じゃない」とか「何やってんの?」なんて。私は、新しい挑戦と言ってましたけど、典型的な失敗店を作る挑戦でしたね。

毎月毎月ほとんど赤字で、普通であれば、半年から1年でクローズするとか、業態変更するという決断をしなければいけなかったのに、そのまま 2 年近く引っ張ってしまった。でも、その店が、私の人生をまっとうな方向に戻してくれました(笑)。

2店舗を繁盛させて調子に乗っている私をいさめてくれたのでしょうね。いい勉強になりましたが、授業料としては高すぎたかも…。頑張ってくれたスタッフに申し訳なかったです。2店は繁盛しているのに、そこがダメなために会社全体で見たら赤。ボーナスも少なくなりましたが、それでも付いてきてくれたことにとても感謝しています。この失敗で、私は一生居酒屋以外はやらないと誓いました。

その2年後の03年3月に三軒茶屋で出店した「三茶氣」は、本当にお金を掛けなかったですね。居酒屋の居抜きで、自分たちで内装用に和紙を貼ったりと原点に戻りました。客単価は、これまでより安い2000円台後半。「成ル」と「巖」は、3800~3900円位です。

肩が凝らないというか、やはり、失敗した店では背伸びをしていたんでしょうね。働いているスタッフの顔を見ると表情が違うんです。明るいんです。なぜかというと、私の表情が切羽詰まっていたからでしょうね。

インタビュー昨年12月には、同じく三軒茶屋の居抜き物件に「三汁伍番」を出店しました。今までで一番小さい7.3坪12席の店ですが、ここは、うちから独立を目指す人の練習の場です。裏路地にあるので、自分でお客さんを呼べなかったら、絶対に人が来ない。そこでお客さんに来てもらえるようになれば、自信になると思います。

私は、あの失敗した経験がなかったら、もっと取り返しの付かない方向に進んでいたでしょう。ドンドンと手を広げて、お店は増えるけど、中身が薄っぺらな店になっていったかもしれないと思います。いまは、人が育っていくペースに合わせて出店するスタンスです。決して無理な出店はしない。やはり、人が育たないとお客さんは付いてこないですからね。

当時は辛かったですが、今ではいい教訓として生きています。やはり、自分でできること以外はやっちゃいけないんでしょうね。背伸びは禁物。等身大の自分でやらなきゃダメなんだと思います。



吉﨑 英司

吉﨑 英司

1970年東京生まれ。
16才の時から家業であった居酒屋を手伝いはじめ、高校卒業と同時に社員となり、28才で独立起業したという居酒屋一筋の経歴を持つ。
起業後すぐに人気店を複数構え、海外進出の夢も実現しようとしている若手実力派。

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