自身を見つめて、信頼できる仲間を得てこそ夢は叶う!

自身を見つめて、信頼できる仲間を得てこそ夢は叶う!エイジアキッチン株式会社 代表取締役 吉﨑英司

渋谷・三軒茶屋という人気のある2つの街で計4店の居酒屋を構える吉﨑氏。家業も居酒屋という恵まれた環境に育ち、20代後半で独立後すぐに複数の繁盛店を育てたという華麗な実績を持つ一方で、若さゆえの大きな挫折も味わったという。
独立して丸8年、若くして豊富な経験を持つ吉﨑氏に、飲食店経営に大切な心構え、夢を夢で終らせない熱い思いをお話いただきました。

第3回 帰国から5ヶ月後には渋谷に居酒屋を出店

アメリカで寿司職人の方に会ったのが98年8月で、翌年1月に渋谷に「成ル」を出店していました。28才の時です。アメリカに行く前に、ある程度の物件を探していたこともあったので、帰国して5ヶ月後に出店できました。

自己資金1000万円では、渋谷に出店するのは難しいですから、公庫から1000万円を借り入れて、親から500万円を借りました。2500万円で何とかこぎつけました。

成ルオープン日店長として働いていた頃から、立ち上げのノウハウを勉強させてもらい、具体的に作りたい店のイメージを考えていて、あとは物件次第という状態だったから 5 ヶ月でできたんです。

といっても初めての店は、そうイメージ通りにはならないですね。駅からは近いですが、2階にある20坪の物件で、それまで1年半ほど空いていたようです。家賃は高いし、飲食店可となっていてもエントランスがマンションに上がるような階段になっている。以前は、飲食じゃなくて事務所だったみたいですね。保証金などがかなり下がったことが決め手でした。

三軒茶屋の居抜きの物件と最後まで悩んだんですが、そっちはなかなか下がらなかったんです。串焼き屋の居抜きで、雰囲気もいい感じでしたが、今にしてみれば、渋谷にして正解でした。“腐っても渋谷”で、人が多いし、雑誌で取り上げられたりと話題になりやすいですから。

作るときも問題はいろいろありましたね。天井までの高さが、2m70cmとものすごく低いことに契約した後で気付きました(笑)。内装業者から「天井低いですねー」といわれて気付いたんですが、当時は「へー、これって低いんだ」なんて言ってました。そうなったら、低いなりに工夫をするしかないですね。

インタビューいま見れば、変えたいところはたくさんありますが、当時思い描いたものに近い店はできたように思います。一番気を付けたのは、空間に関して自然のものを使うこと。その時はまだ、頭の中にアメリカがありましたから(笑)、日本らしさを強く意識したものをやりたかった。外国人のお客さんがきて、これがジャパニーズスタイルだと思ってもらえるような店です。

だから、和紙を使ったり、ワラを混ぜた漆喰にしたりと気を使いました。自分で勉強したわけではなく、デザイナーさんに丸投げでしたが、意見だけは主張しました。料理に関してもアメリカを意識したが、当時はまだ創作料理とあまりいわれていない頃で、例えば、イタリアンや中華の食材でも和を感じられるような工夫をしましたね。

以前一緒に働いていたスタッフや、知人から紹介を受けたスタッフに来てもらって、私を入れて社員4名、アルバイトが3名でスタートしました。これもいきなりですが、出店前に株式会社を作りました(笑)。

というのも、その時の私は、会社を作って何十店舗も抱えて上場させてやろうなんて思っていましたから。個人事業主で始めて有限会社にすると税制優遇があるというのも全然知らなかった。資本金1000万円の時代でしたから、いま思えば大失敗ですよ。



吉﨑 英司

吉﨑 英司

1970年東京生まれ。
16才の時から家業であった居酒屋を手伝いはじめ、高校卒業と同時に社員となり、28才で独立起業したという居酒屋一筋の経歴を持つ。
起業後すぐに人気店を複数構え、海外進出の夢も実現しようとしている若手実力派。

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