渋谷・三軒茶屋という人気のある2つの街で計4店の居酒屋を構える吉﨑氏。家業も居酒屋という恵まれた環境に育ち、20代後半で独立後すぐに複数の繁盛店を育てたという華麗な実績を持つ一方で、若さゆえの大きな挫折も味わったという。
独立して丸8年、若くして豊富な経験を持つ吉﨑氏に、飲食店経営に大切な心構え、夢を夢で終らせない熱い思いをお話いただきました。
会社を辞めて独立しても、すぐに出店したわけではなく、飛んでもなく無謀な行動に出てしまいました。実は、アメリカにお店を出そうと思って、いきなり渡米したんです。英語もしゃべれなきゃ、向うにコネクションがあるわけでもないのに、独立当初、そんな無謀なことを考えていたんですよね。
2 ヶ月ほどアメリカをいろいろ回っていくなかで、ある寿司職人さんを紹介していただいた。その方は、 20 年近くサンディエゴでお寿司屋さんをやられていたんですが、すごく流行らせていた。
知り合いのツテで紹介してもらい、時間をいただいて質問をさせてもらったんです。先方にしてみれば、「なんだコイツは?」という感じだったでしょうね。貴重なお話を聞かせてもらうのに、短パンと T シャツ姿でしたからね。いまだと考えられない。
それに、「なぜ、アメリカで商売をしたいの?」と聞かれて、「アメリカンドリームです」なんて訳の分からないことを答えたりして…。アルバイトを含めて 10 年の経験があり、貯金は 1000 万円あるとか、いろいろなお話をしているうちに、段々と気持ちが伝わったのかもしれないですが、その方も本気で取り合ってくれたんです。
「あなたは店をやって成功する自信があるか」と聞かれて、「多いにあります」と答えたら、「あなたに 1000 万円あって、こっちに来て出店できないことはないよ。だけど、そうしたらあなたは一生寿司職人で終りますよ」と言われたんです。
当時の寿司シェフにはなれるが、経営者にはなれないということです。 1000 万円ではどうにもならないし、コネもなにもない。一生それでやるんならいいんじゃないのということですね。
そして、「お店をやって成功する自信があるなら、日本に一回帰りなさい。日本で繁盛店を作って資本を作って、コネクションを作って、日本で2~3軒やってから来ればいいじゃない」と言ってくださったんです。それで、「はい、わかりました」といって、すぐ帰って店を出す準備を始めました。いま思うと、本当に無謀で、何を考えてるんだコイツって思いますが、その方はきちんと教えてくれました。
他にも、アメリカの保証金や契約方法、居酒屋を出すにはリカーライセンスが必要とか、いろいろと詳しく教えてくれたんです。何でも教えてあげるから、アメリカに出店するときは、いつでも質問に来なさいと言ってくださいました。その方は今でもサンディエゴでお店をやられています。
吉﨑 英司
1970年東京生まれ。
16才の時から家業であった居酒屋を手伝いはじめ、高校卒業と同時に社員となり、28才で独立起業したという居酒屋一筋の経歴を持つ。
起業後すぐに人気店を複数構え、海外進出の夢も実現しようとしている若手実力派。