渋谷・三軒茶屋という人気のある2つの街で計4店の居酒屋を構える吉﨑氏。家業も居酒屋という恵まれた環境に育ち、20代後半で独立後すぐに複数の繁盛店を育てたという華麗な実績を持つ一方で、若さゆえの大きな挫折も味わったという。
独立して丸8年、若くして豊富な経験を持つ吉﨑氏に、飲食店経営に大切な心構え、夢を夢で終らせない熱い思いをお話いただきました。
アルバイトでは新聞配達や八百屋で働いたことがありますが、私はこの商売しかしたことがないんです。高校 1 年の 11 月にこの世界にはいりました。
母と兄の3人家族で、母親が都内(世田谷区祖師谷大蔵)でスナックをやっていたんですが、私が 16 才の時に、スナックの近くに空き物件があって居酒屋を始めることになった。オープン 1 ヶ月前に聞かされたんですが、とにかく人手が足りないから洗い物だけでもやりなさいといわれて…。もう 20 年になりますが、気づいたら今に至るという感じですね。
高校卒業と同時に社員になって、 27 才まで働いていました。最終的には恵比寿などにも出店して 3 店舗まで増えました。『由ら』という名前で、現在は兄が社長を務めています。
独立しようと思ったのは、やはり母親の下で働き続けるのもどうかなという気があったからですね。それに、男二人兄弟ですからね…。
きれいな話だと、二人で力を合わせてやっていくのでしょうが、現実は、なかなかそうはいかないわけで…(笑)。いや、もめたというわけじゃないですよ。お互いに店長をやっていて、私が右だと思ったら、兄は左だという意見の違いはあったかな。
最初の居酒屋を開いたときに来ていただいた店長さんとも意見が合わないというか、生意気ですが、違う考えを持つことも多かった。こうやった方がもっとお客さんが喜んでくれるんじゃないかというのを否定されたり。まあ、私にとってみれば、どんなに働いても一生副社長なんですよ。やるからには、自分のやり方がどこまで通用するか、自分の考えでやっていきたいという思いがすごく強かったので独立を決心しました。
務めていた時は、21~22才で店長をやらせてもらいました。それまでにも、店の運営などを任されていた経験があったので売上が良くなった。特別に何かをやったからというわけではなく、基本的なことを積み重ねた。
例えば、せっかく日替わりメニューを作っても、誰もお客さんにおすすめしない。というより、できなかったんですよね。接客のアルバイトは、仕込みに立ち合わず、夕方から来るから何を売っていいか分からない。まず、そこから変えた。
今日はこれをおすすめしようとか、“ありがとうございます”としっかり言おうとか、そんなレベルの目標を毎日ひとつずつ実践した。 1 年位経ったら、みんなそれが自然と身に付いていったという感じですね。スイッチのオンオフをしっかりするようにしたということかな。
祖師谷大蔵の店は、10坪30席弱の店でしたので、そこですべてを勉強できた。地元の方が多く、年齢性別を問わずすべてのお客さんに接客しなければいけないので、自分の知識も上げていかないといけない。会話ができなかったら、ただ若いお兄ちゃんがやっているだけの店になってしまいますからね。お客さんにたくさん勉強をさせていただいたようにも思います。
そういった経験が自信につながって、自分でやっていこうと本気で思い、お金を貯めはじめました。少しずつはやっていましたが、本気になったのはそれからです。
吉﨑 英司
1970年東京生まれ。
16才の時から家業であった居酒屋を手伝いはじめ、高校卒業と同時に社員となり、28才で独立起業したという居酒屋一筋の経歴を持つ。
起業後すぐに人気店を複数構え、海外進出の夢も実現しようとしている若手実力派。