「挑戦と改革」を続けること、努力すればお客さんは応えてくれる!

「挑戦と改革」を続けること、努力すればお客さんは応えてくれる!

世田谷区経堂を拠点に、下北沢・吉祥寺・自由ケ丘など東京西部の繁華街で、焼肉「牛鉄」、韓国料理と和牛の店「牛鉄 鉄韓」、焼肉包菜「牛鉄 炎菜辛」、熱烈ジンギスカン食堂「牛鉄 ラム吉」など10店舗を構える山道氏。 昭和51年に「牛鉄」経堂本店をオープンして以来30年間、行列ができる焼肉屋を作り上げてきた“肉のプロフェッショナル”です。
味と安さと安全性の追求するために常に勉強を重ね、お客様サービスのために様々なアイデアを生みだしている山道氏から、焼肉店運営ノウハウ、顧客の心を捉える営業戦略についてお話をいただきました。

第2回 いつも新しいことを考えて、アイデアを生みだそうとしている

過去のことを自慢しても仕方ないですが、カルビ1人前380円というのは、焼肉業界で牛鉄が最初にやったことです。今はどこもやっているので、「牛鉄がマネした」なんて思われることが心外ですけどね…。某有名フランチャイズチェーンの人たちなんかも店を始める前に一度だけウチに食べに来て、そこの席に座ってましたよ。当時は、その安さゆえに、朝起きると石を投げられて窓が割れていたり、道路にある消火器をばらまかれたりという嫌がらせが5?6回はあったかな。他にも、“あの安さは犬の肉だから”なんて噂も立てられたりしました。単純に儲けを減らしただけなんだけどね。キムチもよそから買うんじゃなくて、自分で店の裏で漬けたり。今でもキムチは店の裏のセントラルキッチンで漬けていますし、コチュジャンも自家製で作っていますよ。

深夜2時まで営業していたのですが、私も若かったので、いつも早く飲みに行きたくてね。適当に仕事をしていましたよ(笑)。今になって思うけど、料理って適当にやっている方がうまくいくものですね。適当といっても“いい加減”の意味だけではないです。適当な味というのは、感覚の世界で作りだすもの。味付けをするときに、何を何グラムと決めるけど、非常に微妙なところがある。どうしても以前と同じ味は出せない。似た味は出せるけどね。だから、タレも変わり続けている。甘さとか辛さとか、肉質に合わせたりするので、それこそ毎年味が変わっているかもしれない。そうやって“適当な味”を探していくのです。

営業当初のタレは、群馬の味付けが「しょう油辛い」ので、他の店より辛かった。甘いけど辛いという感じでしょう。それで営業していたら、他の店がまろやかな甘さで、さっぱりした印象なので、うちの店のタレが個性になっていた。焼肉のタレって麻薬みたいなもので、一回それに慣れると病みつきになり、2度3度と通ってしまうようになるものです。

最近は、サイドメニューや飲み物にも工夫をしなきゃいけないようになった。女性向けメニューが多くなったかな。以前は、女性客を引っ張ってこようなんて意識は全く無かった。飲食店は女性を引っ張れというのが定説だけど、オレは男を引っ張れといっていた。昔の女性は、「焼肉はくさいし、太るから」と言ってあまり肉を食べなかった。30年前の焼肉屋には、女性の団体客なんて来なかったから。牛角さんが出てきてから、“焼肉屋の命はデザートの種類”なんて言われ方をするようになった。ホントかよって思いましたけどね。テレビや雑誌で焼肉屋のデザートが取り上げられたりするから、充実させざるを得なかった。「焼肉屋に何喰いに来てんだ」というのが本音ですよ。

でも、新メニューという点では、焼酎のウーロン割などを出したのは、焼肉屋では早かったですね。最近では、見た目がビールのようになっている「こどもびいる」もそう。東京の焼肉屋では一番早かったんじゃないかな。他にも、いろいろと早く採り入れて、流行らせたけど、他の店よりあまり売れないので後手後手に回って、あげくには、マネしているなんていわれる(笑)。たかだか10店舗程度じゃ東京全域には伝わらないのでしょう。



牛鉄

山道哲二

1951年生まれ。スーパーの経営を目指して新潟から群馬へ出るものの、焼肉に魅せられて方向転換。25歳の時に独立、東京・経堂で「牛鉄」をオープンする。スーパーのノウハウを活かして380円といった端数な価格設定を採り入れるなど、焼肉業界の先駆となったアイデアは多数。

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