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第1回 うまさに感動して焼肉屋を目指す 画期的な料金設定の元祖でもあります!

自分でスーパーマーケットを営業しようと、故郷の新潟を離れて群馬県前橋市のあるスーパーに入社しました。その時に、ホルモン焼きに出会い、感激してしまったのが焼肉屋になるきっかけ。豚のテッチャンを味噌ダレで喰べて、キムチとワカメスープと白いご飯…。出身地の糸魚川には、当時そんな食べ物がなかった。世の中にこんな旨いものがあったのかと思いましたね。

毎日のように通っていたら、前橋にジャスコやらイトーヨーカドーなど大手が進出してきて、小さなスーパーが勝ち負けを競うような状況じゃなくなってしまった。それで、スーパーを断念して焼肉屋にしようと思ったのです。実は、私の生みの親が魚屋で、高校時代まで手伝っていた経験があって、もともと商売が好きだった。育ての親は鉄道員で、独立に反対だったけど、魚屋のオヤジの方がやれやれと。「商売こそ男の人生だ!」なんてウソみたいなことをいわれて、その気になってしまった(笑)。

 最初に「牛鉄」をオープンしたのは25歳のとき。群馬で通っていた焼肉屋に勤めていたときに、知り合いの不動産屋から経堂の物件を紹介してもらうことになった。もともと割烹の物件で、テーブルや換気扇・鍋用のガスも付いて、家賃も当時坪7,000円でしたから結構安かった。内装には100万円位掛けましたね。当時は、500万円程の貯金があったかな…。経堂の駅前通りの物件とはいえ、実際には誰も通らない。それは今も変わりませんけど。その昔は、居酒屋やキャバレーがある飲屋街だったのですが、ほとんどなくなってしまいましたね。少し道を入ると完全な住宅街で、当時は中高生がたくさん住んでいました。家族で来てくれていたが、彼らが大人になってここを離れていったので、今は静かな街になってしまった。子供や若者がいなくなって、売上が落ちていることに気付くまで結構な時間が掛かりましたよ(笑)

群馬から東京に出てきたときは「何が何でも繁盛させたい」と思っていた。「儲けよう」ではなかったです。自分が生きていくために商売しよう、生業という感覚でした。若い人でも存分に食べられる焼肉屋にしたかったので、群馬でも東京でもカルビ1人前600?700円位の時代に、カルビとロースを380円で売ったんです。それは、スーパーのノウハウを持ってきたんです。スーパーで新入社員の教育担当をしたことがあって、2000円より1980円の方が売れるといった、“値付けのインパクト”を教えていた。20円ほど利益の差が出ても、倍の数を売ればその方がいいのは当たり前ですからね。現在では、どこの焼肉屋もそうなりましたが、当時は画期的なことだった。他にも、ビールを飲んでもらって200円、キムチで150円を儲けると計算して、合計金額2,000円のうちに1000円ほど儲かればいいかなという漠然とした商売もスーパー感覚でしたね。

でも値段が安くても、お客さんは入らなかったですね。ゼロ人ということ月に何日かあった。1年くらい経った頃に、値段が口コミの効果で広がって、一気に客が増え始めたのです。



牛鉄

山道哲二

1951年生まれ。スーパーの経営を目指して新潟から群馬へ出るものの、焼肉に魅せられて方向転換。25歳の時に独立、東京・経堂で「牛鉄」をオープンする。スーパーのノウハウを活かして380円といった端数な価格設定を採り入れるなど、焼肉業界の先駆となったアイデアは多数。

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