庶民感覚を忘れない店作りを~お客様の立場に立って日々精進を重ねる~ピッツェリア パルテノペ 渡辺陽一総料理長

庶民感覚を忘れない店作りを お客様の立場に立って日々精進を重ねる ピッツェリア パルテノペ 渡辺陽一総料理長

本格的なナポリピッツァで有名なパルテノペ 総料理長兼統括店長の渡辺陽一氏。外食ドットビズでは、昨年8月に掲載した『食材原価高騰の時代を活きる Vol.1』の第2回 に登場して頂いた。その取材に伴うインタビューで長時間に渡り興味深いお話をお伺いした。今回はそのインタビューの内容をネット講義としてあらためて皆様にお届けする。

第1回 母の血を受け継ぎ飲食の世界へ

第1回 母の血を受け継ぎ飲食の世界へ

庶民感覚を忘れない店作りを お客様の立場に立って日々精進を重ねる~ピッツェリア パルテノペ 渡辺陽一総料理長私は生まれも育ちも名古屋なんですけれど、両親は共に大阪の人間なんですよ。特に母は大阪の血が濃かったようで(笑)、とにかく食いしん坊でした。それも食べることだけではなく作る方にも非常に関心が高く、私が生まれてからも料理学校はともかくも製パン学校まで通っていました。しかも講師の免許まで取ってしまったのです。今では家電製品で製パン機がありますが、当時朝に焼きたての食パンを食べている子供なんてほとんどいなかったと思いますよ。湯気が出ている焼き立ての食パンをちぎってバターをたっぷり塗って食べる。子供の頃の食環境が何よりも素晴しかったですね。

子供ながらに美味しいものを美味しいと感じることを教えてくれたのは母だったですね。結局この子供の頃の実体験がその後の私の人生に大きく影響したと思っています。

庶民感覚を忘れない店作りを お客様の立場に立って日々精進を重ねる~ピッツェリア パルテノペ 渡辺陽一総料理長そして、実際に食の世界で生きていこうと明確に決めたのが、高校2年生頃のことでした。この時期進路指導と言うのがありまして、担当教諭から卒業後の進路について聞かれたのです。私はずっと机の前に座って勉強することがとにかく嫌いだったのですね(笑)。では、勉強をしないで済む方法はと消去法で考えたのが、美容師になるか料理人になるかということだったのです。

同じ頃家庭内でも進路について話をする機会がありまして、父はサラリーマンでしたので当然いる時間は少ない、そうなると母と話をする機会が多くなり、「 料理が好きなら料理人になればいいわよ 」 と後押ししてくれたのです。

しかも感性が非常に鋭かったのですね。当時の料理界といえば帝国ホテルの村上信夫総料理長一人という世界でした。それも知っている人は知っているけれどそれほど有名ではなかった。今みたいに 「 日高さんだ片岡さんだ 」 という時代ではなく、料理人があまりメジャーではなかった頃でした。しかし私の母は 「 これからは料理人だって一人前になれば、それなりの給料も稼げて、社会的な地位を得ることもできるようになるわよ 」 と予言してくれたのです(笑)。

庶民感覚を忘れない店作りを お客様の立場に立って日々精進を重ねる~ピッツェリア パルテノペ 渡辺陽一総料理長一方、私の進路決定に対してがっくりしていたのが父ですね(笑)。30年前というと大学に行くのもわりと当たり前な時代で、しかも大卒と高卒の初任給に大きな開きがあったりと、「 大学を出なければ何もできないぞ 」 というのが父の考えだったのです。ましてや父は苦労して自分で学費を稼ぎながら大学を卒業していましたから自分の息子が、しかも長男ですから(笑)、大学に行かないのは許せなかったのでしょうね。

でも私はどうしても大学に行きたくなかった、それで母のバックアップを得て調理師学校に進級し、調理人への道を選んだのです。

大阪の辻学園日本調理師学校に進んだのですが、実はこれも母が大きく関与してくれました。

当時はまだ、調理師学校というと大阪が主流で、辻学園と辻調理学校の2校が有名だったのですが、「 当然辻学園の方が本家で老舗だからそこに行きなさい 」 と言われました。しかももっと凄いのがそこの先生のことをよく知っていたのです。「 日本料理にはこの様な先生がいるよ・・・ 」 などと。とにかく食の感性が鋭い女性でしたね。

庶民感覚を忘れない店作りを お客様の立場に立って日々精進を重ねる~ピッツェリア パルテノペ 渡辺陽一総料理長調理師学校では、どこでも同じだと思いますが、和洋中は必須なのですね。これにプラスして専攻科というものを取れるんです。私は当然、イタリア料理を選択しました。担任のイタリア人の教授が格好よかったんですね(笑)。その先生に会ったとたん一目惚れ状態だったですね(笑)。確かにフランス料理は格好がいいのです。フレンチのシェフがかぶる帽子は一段と高くて、びしっともしているし、料理も綺麗ですしね。でもちょっとかしこまりすぎていて非日常的過ぎるんですよね。何かむず痒くなってくるんですよ(笑)。自分にはもっとカジュアルな方がいいなと思ったのですね。だからイタリア料理を選択しました。

それともう一つ。18歳の “ガキ” ながらに打算的な考えがあったのです。イタリア料理をやる方が一生喰い逸れ[くいっぱぐれ]しないんじゃないかと言う(笑)。

庶民感覚を忘れない店作りを お客様の立場に立って日々精進を重ねる~ピッツェリア パルテノペ 渡辺陽一総料理長フランス料理は、時代が下降線に入ってしまったら誰もお金を払ってくれなくなるのではないかと思ったのです。確かにイタリアンの教授は、有名なローマのエクセルシオールホテルのシェフでしたから誰が見ても凄い料理を作られていました。でも一つ一つを見るとじゃがいものコロッケだとかライスコロッケだとか非常にカジュアルなんですね。喫茶店でも売れるような(笑)。それにイタリア料理には米があるじゃないですか。それに麺もある。日本人は米と麺が好きな民族ですよね。だからどんなことがあっても日本人に見捨てられるわけが無いと思ったのです。



渡辺 陽一

渡辺 陽一

ピッツェリア PARTENOPE(パルテノペ) 総料理長
1961年愛知県出身。
高校卒業後、辻学園日本調理師専門学校(現、辻学園調理・製菓専門学校)入学。
専門学校卒業後、イタリア料理の老舗「アントニオ」に入社。
3年間の勤務の後イタリアに渡り、3年間の修行後帰国。その後再びイタリアに渡り延べ10年間をイタリアで過ごす。
2000年東京・広尾にピッツェリア PARTENOPE(パルテノペ)をオープン。その後、恵比寿、品川、横浜にパルテノペをオープンし、現在は、4店舗の総料理長。

文:齋藤栄紀
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