昭和60年(1985年)8月の暑い日に、兵庫県加古川市に8坪の小さな焼鳥屋が開店した。店先には、「Yakitori Tori doll 3番館」と手書きで書かれた看板が掲げられていた。「 どうしたら、お客様が来てくれるだろうか? 」 とまさに手探りの中開店しながらも、「将来、3店舗を経営したい」と言う創業者の思いがこもった看板であった。
お子様からご年配の方まで、ご家族が一緒に楽しめる焼鳥屋を目指し、「とりどーる」の屋号で店舗展開を進めてきた株式会社トリドール 。いまやその軸足を讃岐うどんの店「丸亀製麺」に移しながらも178店舗(2008年1月末時点)を有する一大外食企業に成長した。創業当時は、「何とか3店舗は経営したい」と考えていた粟田貴也創業者社長も、ここまで大きな外食企業に育つとは思っていなかったと言う。創業業態にこだわらず、新たな業態開発で成長しているトリドールの歴史を紐解いていきたいと思う。
企業経営において、最も大切なことは、トップの考えがぶれないことである。つまり経営理念が明確になっていることである。
では、トリドールの経営理念はどうであろうか。
既述の通り、トリドールは、わずか8坪の小さな小さな焼鳥屋からはじまった。カウンター越しに焼きたての焼鳥をお客様に提供する形態の店であった。
お客様と会話をしながら、おいしいと思っていただける焼鳥をお出ししたい。つまり、“ カウンター越しにお客様とのコミュニケーションがあり、おいしい食事を提供する喜び ” それが、粟田社長の求めていたことであり、店舗経営における理念であった。
その後、郊外に3店舗ほど焼鳥屋を持つことになる。この段階で、起業時の目標は達成されることになるのだが、粟田社長は、他社とは違うコンセプトで出店を考えた。そして若い女性をターゲットにした洋風でお洒落な焼鳥屋を作ってみたところ、連日連夜若い女性客で溢れんばかりの大ヒット店となったのだ。
この当時、洋風でお洒落な焼鳥屋などほとんど無かった。粟田社長は、この成功でこの業態は行けると判断し、出店を加速し、一時的な成功を手中にすることができた。
しかし、結果的に女性をターゲットにした洋風焼鳥屋は失敗に終わった。何故か?競争のなかったローカルな市場に、女性をターゲットとした本格的なイタリアンレストランや奇抜な内容の創作料理店などの競合店が軒を連ねるようになり、これまで独占してきた市場が崩れていったのである。
では、何故それまでうまくいっていたのか?それは、子供連れのご家族や近所のご年配の方々といった地元のお客様に支えられ、そのお客様に対してちゃんとしたサービスを行ってきたからである。それに対し、流行に敏感な女性客にターゲットを絞り、全てのお客様に対して満足の行くサービスができていなかったのである。
“ より多くの地元の皆様に愛されるお店にしよう ”
その後の店舗展開における重要な理念は、この経験から学び取ったのである。
ここから、家族向けの焼鳥レストランとして、焼鳥ファミリーダイニング 「 とりどーる 」 を出店することになる。平成 11年3月から展開したこの 「 とりどーる 」 が好評になり、順調に事業を拡大することができ、トリドールが外食企業として確固たる地位を築くことになったのである。
そして、粟田社長は、トリドールの存在意義として 「 大衆性 」 「 普遍性 」 「 小商圏対応 」 と考え、“ ひとりでも多くのお客様に(大衆性)いつまでも愛され続ける(普遍性)地域一番店を創造(小商圏対応)していこう ” という経営理念を創ったのである。
“ カウンター越しにお客様とのコミュニケーションがあり、おいしい食事を提供する喜び ”
“ より多くの地元のお客様に愛される店にしよう ”
“ ひとりでも多くのお客様にいつまでも愛され続ける地域一番店を創造していこう ”
発する言葉は変っても、その根底に流れているのは、”お客様に愛される店であり続けたい”という一本の芯の通った考えである。
ここから、トリドールのトップの経営理念はぶれずに、明確になっていることがわかる。株式会社トリドール
【会社設立】1995年(平成7年)10月。
【会社概要】家族で利用できる本格的な焼鳥屋を志し、焼鳥ファミリーダイニング「とりどーる」を、ロードサイドを中心に展開。
その後、ショッピングセンターを中心にセルフ讃岐うどん店「丸亀製麺」に事業をシフトするとともに多業態化をはかる。
2006年(平成18年)2月に東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場。
【経営理念】「ひとりでも多くのお客様に いつまでも愛され続ける 地域一番店を創造していこう」
【代表者】代表取締役社長 粟田貴也
取材協力:
経営企画課 IR・広報担当 伊藤純一氏
経営企画課 IR担当 萬代健氏