「サブウェイ編」小さなスペースから美味しさと健康・環境までの満足を提供する~日本サブウェイ・独自戦略を知る~

小さなスペースから美味しさと健康・環境までの満足を提供する 日本サブウェイ・独自戦略を知る

潜水艦型のパンにハムや野菜などを挟んだサブマリンサンドイッチは、アメリカでは昔から愛されてきた伝統的なメニューだ。SUBWAYという名前は、このサブマリンサンドの “ SUB ” に、あなたの好み通りに作りますという意味を示す “ WAY ” を組み合わせたもの。「サブマリンにいろいろなお好みを詰め込んで、あなただけのサンドイッチをお楽しみください」。会話しながらつくる対面式スタイル、そこから育まれるホスピタリティ精神などサブウェイ40年の歴史を踏まえながら、日本サブウェイが展開する独自戦略に注目していきたい。なお、今回は、代表取締役 伊藤彰氏のインタビューを交えてお届けする。

第1回 SUBWAY HISTORY~サンドイッチヒーロー物語~

第1回 SUBWAY HISTORY サンドイッチヒーロー物語

小さなスペースから美味しさと健康・環境までの満足を提供する 日本サブウェイ・独自戦略を知る

全米ナンバーワンのサンドイッチチェーンに成長した 「 サブウェイ 」 は、アメリカ・コネチカット州において、フレッド・デルーカという一人の少年の手によってスタートしている。フレッドは、ニューヨークの下町生まれ、決して裕福とはいえない家庭で育った。倹約家の両親は、息子に対しても財布の紐が固く、フレッドは幼い頃から自分で稼ぐことを自然と身につけていったという。わずか5歳で、空き瓶の回収やベースボールカードの売買といった商いを始め、小学校時代のアルバイトである新聞配達では、早くもその商才を発揮することとなる。アメリカの新聞少年にとっては、配達と同時に販路拡張も大切な仕事となるが、彼は、独自のサービスと手紙(いまの言葉にするなら、手書きダイレクトメール)で次々と顧客を増やしていったのである。

フレッド 10歳の時、後の人生を大きく左右する運命の出会いが訪れる。両親の知人宅で行われたパーティーで、当時27歳の電気会社に務める物理学者ピーター・バックである。二人は家族ぐるみで付き合うようになり、フレッドにとってピーターは、尊敬し信頼できる人間となった。また、ピーターはフレッドの頭の良さと行動力に大きな素質を感じるようになっていった。

小さなスペースから美味しさと健康・環境までの満足を提供する 日本サブウェイ・独自戦略を知るデルーカ家が引っ越したために、フレッドとピーターは疎遠になっていたが、フレッドが高校を卒業した1965年に二人は再開する。そして、大学進学の相談をしたフレッドにピーターは突然、「 サブマリンサンドの店をつくろう 」 と持ちかけたのである。最初は驚いたが、「 必ずうまくいく! 」 と自信を持つピーターの顔をみて、フレッドもそれが現実になると信じるようになった。その日のうちに、メニューや価格、10年後の店舗数(目標32店舗)まで話は進み、ピーターはフレッドに1000ドルの小切手を渡す。それほどにフレッドの行動力に魅力を感じていたのだ。すると、翌日にはフレッドからピーターへ連絡が入る。「 適当な場所が見つかったよ 」。このような調子で、二人の再会から2カ月後には1号店 「 ピーツ・サブマリン 」 が開店したのである。

フレッドが事前に地図入りチラシを配りながら宣伝したことで、「ピーツ・サブマリン」は上々のスタートを切る。しかし、季節が冬になるとショッピングアーケードの目立たない場所にあったため、ジワジワと売上が下降してしまった。ここで二人は、驚くことに拡大路線の行動を取る。より目に付きやすい立地に 2号店をオープンさせたのである。そして、2号店の評判が1号店の評価も上げることになり、売上は急回復。閉店の危機を脱するばかりか、3号店オープンも実現させるのであった。

小さなスペースから美味しさと健康・環境までの満足を提供する 日本サブウェイ・独自戦略を知る1号店オープンから8年後の1974年には、店名もサブウェイに変更、コネチカット州に16店を構える成長ぶりをみせるが、二人が立てた10年後32店という目標は実現困難な状況にあった。しかし、目標を決してあきらめようとしなかったフレッドは、残り2年で店舗数を倍にするためにフランチャイズ化を決意するのである。FC第1号は、フレッドの以前からの知り合いであり、経営者としての素質があると認めていたブライアン・ディクソン。やっとの思いで彼を口説き落とし、FC展開がスタートするとサブウェイのビジネスは大きな変化を遂げる。ディクソンがエネルギッシュに店を切り盛りして売上はどんどん伸び、フレッドもまたディクソンの繁盛店をモデルにFC加盟者を募るなど精力的に働き、またたく間に夢と希望を持った若者が押し寄せ、10年で32店舗という目標を達成したのである。

小さなスペースから美味しさと健康・環境までの満足を提供する 日本サブウェイ・独自戦略を知る成長する過程で、お客様と向かい合い、細かな注文に応え、目の前で作るというオーダーメイドシステムを開発、フレッシュで美味しいというサブウェイスタイルが人気に拍車をかける。さらには、オーブンで毎日焼く新鮮な自家製パンなど独自のスタイルを確立、サブウェイはアメリカだけでなく全世界へと広がっていく。95年には世界10,000店を達成、01年には全米店舗数第1位を達成、そして、現在は世界86ヶ国に約29,700店を展開するNo.1サンドイッチチェーンとなった。アメリカンドリームを実現したフレッド・デルーカは、現在も精力的に現場の店舗をまわり、新たな戦略を練っているという。あくなき挑戦を続ける起業家精神こそ、“ サンドイッチヒーロー ” であるデルーカの根本であり、サブウェイブランドの下地になっているのである。

日本サブウェイ株式会社

日本サブウェイ株式会社

http://www.subway.co.jp/

平成3年(1991年) サントリー株式会社を株主に設立、米国SUBWAY本部との間でマスターフランチャイズ契約を締結
平成4年(1992年) 赤坂に国内1号店を出店
※以降、FCにより積極的に出店、現在は24都府県・157店舗に達する。

本社:東京都港区赤坂3-8-8 赤坂フローラルプラザビル4F

日本サブウェイ株式会社 代表取締役社長 伊藤彰氏

同社代表取締役社長 伊藤彰氏

1958年12月3日・神奈川県出身
大学卒業後サントリー入社
千葉エリアで酒類営業を4年間担当後、社内募集に志願して国際部へ。
スペイン・マドリッドでレストラン支配人を務めるなど、10数年にわたり外食関連事業に従事。1998年に日本サブウェイ入社、2003年に社長就任。

文:貝田知明  写真(人物):トヨサキジュン
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