「サッポロライオン編」外食産業界のパイオニア・サッポロライオン~世紀を越えた繁栄の源を探る~

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探る

サッポロビールの関連会社として、全国でビヤホールやレストランなどを経営する 株式会社サッポロライオン。明治時代に東京・銀座で誕生した日本最初のビヤホールをルーツとする同社は、ビヤホール業態の歴史を誇るパイオニア企業である。創業から一世紀というのは、はやり廃りが大きな飲食業においては、まさに悠久の歴史といえる。伝統を重んじる老舗から、全国200店舗以上をネットする総合外食企業へと発展した秘訣について、代表取締役社長・山崎範夫氏にお話をうかがった。

第2回 変わらぬ価値を常に提供することが繁盛の基本!

第2回 変わらぬ価値を常に提供することが繁盛の基本!

― 山崎社長は、慶應大学在学中のアルバイトからトップへと上り詰めた 「 生え抜き社長 」 として有名ですが、そもそもなぜサッポロライオンでアルバイトをしようと思ったのですか?

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探る【 山崎氏 】 早慶戦の後に銀座へ繰り出し、ライオンのお店をほぼ貸し切り状態にして飲んで騒いだ経験がありました。大学の先輩にはボンボンが多くて、ごちそうになってばかりでしたが(笑)。銀座ライオンで飲んでいると、店の人たちがいい動きをしながら、すごく楽しそうに働いて見えました。もちろん、飲んでいる人も楽しそうだし、こういうところで働いてみたいなと思ったのがきっかけですね。それから、時給がちょっと高めだったことも大きな理由ですね。35、36年前に時給350円程度で、さらにまかないが付くからありがたい。ひょっとしたらビールも飲めるかもしれない(笑)。単純な動機ですね。

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探る― 実際に働いてみて楽しかったですか?

【 山崎氏 】 やっぱり楽しかったですね。何よりもお客さまが嬉しそうなのが印象的でした。偉い人も偉くない人も店に来た瞬間は、平等に楽しく飲んでいる。そこで働くことが楽しくて仕方がなかったですね。当時の社員の方々からは、「 何で慶應に通っていて、こんなところでバイトしてるんだ? 」 といわれましたが、やっぱり楽しかったからでしょうね。調理やホール、社員やアルバイトなどに関係なく、一緒に働いている人たちが魅力的に見えました。

― アルバイトから社員、そして社長になった経緯を教えてください。

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探る【 山崎氏 】 大学を卒業してからも、二年間は今で言うフリーターをやっていました。その時に、当時の支配人が 「 ここでやってみないか、入社試験を受けてみろ 」 と勧めてくれたんです。それで、就職活動というものをほとんどせずに社員になったわけです。入社してからも、ずっと店舗勤務でした。入社した昭和50年(1975年)は広島の三越にあったビヤガーデンにいたのですが、ちょうどカープが優勝した年で非常に売上が良かったことを覚えています。それからは、銀座五丁目、上野のビヤガーデン、新橋、四国、大阪などで店長や支配人をやっていました。途中で本社の営業も経験させてもらい、メニュー開発部部長や北海道事業部長などを務めてから社長という流れです。和洋中とすべての業態を経験しましたから、大体の現場のことはわかりますね。そういう社長は少ないだろうと思います。社長になった頃は、「 サッポロビールのどこにいらしたのですか? 」 と聞かれることが多かったですから。そういうときは、「 僕はずっとライオンです。ライオンしか知らないです 」 と少しふてくされて答えるようにしています(笑)。生粋のライオンマンという思いは強くあります。

― 生粋のライオンマンから見て、浮き沈みが激しい飲食業でサッポロライオンが110年間も続いてきたのは、どこに理由があるとお考えですか?

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探る【 山崎氏 】 「 美味しいビールを出し、ビールに合ったおつまみを出して、皆さまに喜んでいただく 」 という変わらぬ価値を提供してきたことが根底にあると思います。時代に振り回されない普遍的な価値を提供し続けたことで、基礎がしっかりと固まったのだと思います。ビヤホールは普遍的であるべきです。飲食業は、いま厳しい時代を迎えていますが、バブル前後も非常に厳しい状況でした。しゃれたお店がたくさんできて、ビヤホールが古くさく思われて、会社ごとダメになるのではと心配されたこともあります。それでも普遍的でありつづけ、お客さまに対して、いつ来られても変わらない価値を提供していました。そこに意義があったのだと思います。



株式会社サッポロライオン

株式会社サッポロライオン

http://www.ginzalion.jp/

【代表取締役社長】山崎 範夫氏
【本社】東京都中央区日本橋本町2-6-3 小西ビル5・6F

明治32年(1899年)東京・銀座8丁目に「恵比壽ビヤホール」(当時は日本麦酒株式会社が経営)として創業
大正3年(1914年)札幌狸小路2丁目にビヤホール開店(当時は札幌麦酒株式会社が経営)
昭和11年(1936年)大日本麦酒株式会社より飲食部門を分離独立、共栄株式会社として発足
昭和24年(1949年)共栄が二分割され、日本共栄株式会社(現株式会社サッポロライオン)と朝日共栄株式会社が設立
昭和33年(1959年)サッポロビヤホール、ニッポンビヤホール、広島ニッポンビヤホールの3社を吸収合併
昭和41年(1966年)サッポロ共栄株式会社に社名変更
昭和54年(1979年)株式会社サッポロライオンに社名変更
昭和63年(1988年)東証第二部へ上場
平成15年(2003年)持株会社サッポロホールディングス設立を柱とするサッポログループの事業再編に参画

※総合外食企業として、ビヤホール・ビヤレストランをはじめとする幅広い業態を展開。全国主要都市に202のチェーン店を運営している(平成21年8月1日時点)

株式会社サッポロライオン
株式会社サッポロライオン

代表取締役社長 山崎範夫氏

昭和25年高知県生まれ。慶應大学在学中からサッポロライオンのビヤホールでウェイターのアルバイトを体験する。卒業後2年間もアルバイトを続けた後、上司の勧めで、昭和50年(1975年)に入社。全国各地の店舗で店長・支配人として現場経験を重ねたほか、本社営業部やメニュー開発部などにも配属。平成15年(2003年)7月から現職、初のサッポロライオン生え抜き社長となる。

取材協力:経営企画室長・取締役執行役員 多田重夫氏(写真左)
経営企画室 西村礼佳氏(写真中央)

文: 貝田知明
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