「サッポロライオン編」外食産業界のパイオニア・サッポロライオン~世紀を越えた繁栄の源を探る~

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探る

サッポロビールの関連会社として、全国でビヤホールやレストランなどを経営する 株式会社サッポロライオン。明治時代に東京・銀座で誕生した日本最初のビヤホールをルーツとする同社は、ビヤホール業態の歴史を誇るパイオニア企業である。創業から一世紀というのは、はやり廃りが大きな飲食業においては、まさに悠久の歴史といえる。伝統を重んじる老舗から、全国200店舗以上をネットする総合外食企業へと発展した秘訣について、代表取締役社長・山崎範夫氏にお話をうかがった。

第1回 日本近現代史のなかで成長を続けてきたサッポロライオン

第1回:日本近現代史のなかで成長を続けてきたサッポロライオン

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探るサッポロライオンの歴史は、第一次世界大戦勃発より十数年もさかのぼる明治32年(1899年)にスタートした。この年の8月、サッポロビールの前身である日本麦酒株式会社が東京・銀座の新橋際に、我が国初となるビヤホール 「 恵比壽ビヤホール 」 を開店、これを母体として産声を上げたのである。

その後、日本麦酒は、他の2社と合同合併して大日本麦酒株式会社となるが、直営ビヤホールが増加していたことを受けて、昭和11年(1936年)にはビヤホール部門を分離独立する。この時に、直営ビヤホールを一元管理する会社として誕生した共栄株式会社がサッポロライオンの前身となっている。さらに、第二次大戦後の昭和24年(1949年)に、大日本麦酒が 「 過度経済力集中排除法 」 の適用を受けて分割された際には、その子会社にあたる共栄も均等二分割されて、日本共栄株式会社の名称となる。

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探るそして、親会社がサッポロビール株式会社と社名変更したのに伴って、昭和41年(1966年)にはサッポロ共栄株式会社に変更。さらに、創業80周年にあたる昭和54年(1979年)には、長きにわたって店舗名として親しまれてきた 「 ライオン 」 と社名の一致をはかるために、株式会社サッポロライオンという社名に変えている。そして、昭和63年(1988年)には、東京証券取引所第二部上場を果たしている。

なお、「 ライオン 」 の店舗名は、明治44年(1911年)に東京・銀座尾張町角(現・銀座五丁目店の場所)に誕生した「カフェー・ライオン」から続いているものだ。同店は、築地精養軒(上野精養軒の前身)が開店したが、昭和6年(1931年)に大日本麦酒へと経営権が移り、その際に 「 ライオンヱビスビヤホール 」 と名前が変わって、現在へと受け継がれている。ちなみに、「 カフェー・ライオン 」 は、イギリス・ロンドンで営業していたレストラン 「 ジョー・ライオンズ商会 」 にあやかったものである。

サッポロライオンホームページ上場後も順調に発展を続けていたサッポロライオンは、平成15年(2003年)7月に新たな転機を迎えることになる。サッポログループの純粋持株会社設立を柱とする事業再編に参画し、株式交換によりサッポロホールディングス株式会社を通じた間接的な上場形態に移行したのである。これによって、同じサッポロホールディングス傘下のサッポロビール株式会社やサッポロ飲料株式会社等とともに、グループの主要事業会社の一角を担うこととなった。

外食企業物語 サッポロライオン編 外食産業界のパイオニア・サッポロライオン 世紀を越えた繁栄の源を探る現在は、ビヤホール・ビヤレストランをはじめ、和風料理店、ダイニング、カフェ、アイリッシュパブなど幅広い業態の店舗を展開している。また、出張宴会サービスや各企業の厚生施設、レジャー施設内のレストラン受託運営なども展開し、総合外食企業として全国主要都市に200店以上のチェーン店を経営する規模になっている。明治時代に日本最初のビヤホールからスタートした同社だが、その略歴を見るだけで、日本の近現代史の大きなうねりの中で発展を遂げてきたことがわかる。諸外国の文化を吸収したり、日本の食文化を見つめ直したりして、新たな食文化をつくり上げているのである。次回からは、山崎範夫代表取締役社長のお話を通じて、時代を越えて繁盛を続ける秘訣を探っていきたい。



株式会社サッポロライオン

株式会社サッポロライオン

http://www.ginzalion.jp/

【代表取締役社長】山崎 範夫氏
【本社】東京都中央区日本橋本町2-6-3 小西ビル5・6F

明治32年(1899年)東京・銀座8丁目に「恵比壽ビヤホール」(当時は日本麦酒株式会社が経営)として創業
大正3年(1914年)札幌狸小路2丁目にビヤホール開店(当時は札幌麦酒株式会社が経営)
昭和11年(1936年)大日本麦酒株式会社より飲食部門を分離独立、共栄株式会社として発足
昭和24年(1949年)共栄が二分割され、日本共栄株式会社(現株式会社サッポロライオン)と朝日共栄株式会社が設立
昭和33年(1959年)サッポロビヤホール、ニッポンビヤホール、広島ニッポンビヤホールの3社を吸収合併
昭和41年(1966年)サッポロ共栄株式会社に社名変更
昭和54年(1979年)株式会社サッポロライオンに社名変更
昭和63年(1988年)東証第二部へ上場
平成15年(2003年)持株会社サッポロホールディングス設立を柱とするサッポログループの事業再編に参画

※総合外食企業として、ビヤホール・ビヤレストランをはじめとする幅広い業態を展開。全国主要都市に202のチェーン店を運営している(平成21年8月1日時点)

株式会社サッポロライオン
株式会社サッポロライオン

代表取締役社長 山崎範夫氏

昭和25年高知県生まれ。慶應大学在学中からサッポロライオンのビヤホールでウェイターのアルバイトを体験する。卒業後2年間もアルバイトを続けた後、上司の勧めで、昭和50年(1975年)に入社。全国各地の店舗で店長・支配人として現場経験を重ねたほか、本社営業部やメニュー開発部などにも配属。平成15年(2003年)7月から現職、初のサッポロライオン生え抜き社長となる。

取材協力:経営企画室長・取締役執行役員 多田重夫氏(写真左)
経営企画室 西村礼佳氏(写真中央)

文: 貝田知明
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