既成概念を破る “ 焼き ” 牛丼を看板メニューに掲げた 「 東京チカラめし 」 を破竹の勢いで全国展開する 三光マーケティングフーズ 。「 東方見聞録 」 「 月の雫 」 「 金の蔵Jr. 」 を始めとする居酒屋業態での成功を糧に、寡占化の進んだ牛丼業界に乗り込み、急成長を遂げたその秘密とは。そしてライバル他社も注目の同社が目指す未来とは。業界の風雲児・平林実社長に熱く語っていただいた。
バブル崩壊後の不況の真っただ中においても、独自の視点と緻密な立地戦略で居酒屋業態を拡大し業績を伸ばしてきた三光マーケティングフーズ。そんな同社があえて大手3社による寡占化と激戦区である牛丼業界に進出したのはなぜか。その理由を紐解いてみよう。
同社の創業は、1975(昭和50)年、東京・神田のガード下で開いた定食屋 「 三光亭 」 であるが、翌1976(昭和51)年に、定食屋を牛丼専門店「三光亭」にリニューアルしてチェーン展開を試みた経緯もあり、平林氏自身は、“ 牛丼 ” には非常に深い思い入れがあるという。今まで同社が外食事業を手掛ける中で、「 時代の流れは少子高齢化や若者のアルコール離れが進み、この先、居酒屋事業は先細りとなっていくと予見しました。一方で、我々の原点である牛丼は日常食の観点から見て、長年、“ 煮る ” 牛丼中心の市場で、そこに新たな価値を生み出せばまだまだ可能性のある業態はないかと考えました 」 と平林氏。新たな価値とは、今までになく、他社とは違った特徴を持ちながらクオリティで勝り、かつ、オファーが成立する切り口を牛丼業界でプロデュースすることだった。そこで同社が打ち出したのが 「 焼き牛丼 」 と 「 スピード出店による多店舗化 」 であった。
「 焼き牛丼 」 では、業界に定着していた 「 煮る 」 方式ではなく 「 焼く 」 方式を採用。焼肉やステーキからもわかるように、肉の動物性タンパク質は煮るより焼いた方が香ばしく、より風味が出て美味しい。それを牛丼で商品化して、「 東京チカラめし 」 の看板メニューとして実証してみせた。この新機軸が大当たり。同社は他社との差別化に成功したのだ。
「 スピード出店による多店舗化 」 に関しては、仕入れ業者との取引の際や、一店が店として成立するためには 「 ブランド = 知名度 」 が必要だった。事業規模を拡大するためにも、出店はライバル各社や世間も驚くスピードで行われている。
こうして 「 焼き牛丼 」 を看板メニューに掲げた 「 東京チカラめし 」 は2011年6月、池袋西口に1号店をオープンさせて以来、首都圏を中心に怒涛の出店ラッシュを続けている。12年9月には早くも100店を突破し、1年半後の12年12月に120店を超えた。この勢いに刺激され、ライバル他社もこぞって焼き系丼を開発するなど業界に一大旋風を巻き起こして行った。
大手チェーン企業の寡占化が進んだ牛丼業界では、新規参入の余地はないと考えられていた。しかし、独自の視点をもって挑戦すれば、成長のチャンスはいくらでもあるということを同社は証明している。同社独自の視点とは、理想と現実のマッチングとストライクゾーンを狙いつつも、常にお客様目線で今までにない新しい価値を追い求め続けるその姿勢・精神に他ならないのである。
株式会社三光マーケティングフーズ
代表者:代表取締役社長 平林実氏
設立:1977年(昭和52年)4月
所在地:東京都豊島区南池袋3-9-5 サトミビル1F
事業内容:飲食店の経営(居酒屋・牛丼・うどん・イタリアンパスタなど)
代表取締役 平林実氏プロフィール
1949(昭和24)年 東京都大田区生まれ。法政大学経営学部卒業後、レストランを経て、1975(昭和50)年に 「 三光亭 」 を創業。
文:齋藤栄紀 人物写真:酒美保夫
写真協力:月刊飲食店経営