「三光マーケティングフーズ編」価値ある食文化を提案し続ける 新たな価値を追い求め、チャレンジすることで道は拓ける

外食企業物語 三光マーケティングフーズ編 価値ある食文化を提案し続ける 新たな価値を追い求め、チャレンジすることで道は拓ける

既成概念を破る “ 焼き ” 牛丼を看板メニューに掲げた 「 東京チカラめし 」 を破竹の勢いで全国展開する 三光マーケティングフーズ 。「 東方見聞録 」 「 月の雫 」 「 金の蔵Jr. 」 を始めとする居酒屋業態での成功を糧に、寡占化の進んだ牛丼業界に乗り込み、急成長を遂げたその秘密とは。そしてライバル他社も注目の同社が目指す未来とは。業界の風雲児・平林実社長に熱く語っていただいた。

第1回 変化・進化・提案し続ける ~厳しい多様化の時代を生き残れ

第1回 変化・進化・提案し続ける ~厳しい多様化の時代を生き残れ

三光マーケティングフーズ代表取締役社長の平林実氏は東京の下町・大森で乾物屋の三男として生まれた。家業を身近で見て育つ中で、後々、商売で身を立てるということを肌感覚で身に着けていった。

若かりし頃の平林氏そして大学時代にたまたま始めたアルバイト先の定食屋で働くうちに、「 この業界はまさに自分の天職。ここで食って生きていこう 」 というインスピレーションを感じ、これが飲食業界に入るきっかけとなった。

1972(昭和47)年に大学卒業後、そのままアルバイト先に就職し、3年程働く間に、結婚し子供も授かり、1975(昭和50)年25歳の若さで神田・鍛冶町に自分の店を持つことになる。それが、定食屋 「 三光亭 」 である。店の名前は実家の屋号である 「 三光 」 からとった。「 今よくある横文字を使ったおしゃれな屋号などなかった時代、ただ、親代々からの繋がりを受け継ぐような気持ちと、男三兄弟の光…というような意味を込めて名付けました 」 と平林氏。わずか5.5坪、15席の小さな店でのスタートだった。

昼食時にサラリーマンで賑わう店内かつてのアルバイト先での経験も活かしつつ、自分の店も定食屋からスタートしたが、1年後の1976(昭和51)年、より経営の合理性を追及した業態で勝負しようと、店を牛丼専門店 「三光亭 」 に業態変更してリスタートする。当時、画期的だった味噌汁とおしんこを付けるモーニングサービスを始めると、これがサラリーマンに大当たり。商売は順調に売り上げを伸ばし、店舗も3店舗に拡大していった。

居酒屋第1号「だいこんの花」しかし一方で、チェーン展開していくためには従業員の定着率など会社として乗り越えなければならない課題もまだまだ多く、他にも興味をもった業態を試行錯誤しながらいろいろ模索していた。そんな中、1駅で2~3店舗出店できる居酒屋は管理面でのメリットが大きいと興味が湧き、30年ほど前の1984(昭和59)年、渋谷109近くに、念願の居酒屋進出第1号店 「 だいこんの花 」 をスタートさせた。先行他社にはない 「 女性向け 」 というコンセプトを明確に打ち出し、店内の内装やメニューに工夫を凝らし、さらにバブル以前という時代と人気立地が味方して後発参入ながら店は大人気店に。

外食企業物語 三光マーケティングフーズ編 価値ある食文化を提案し続ける 新たな価値を追い求め、チャレンジすることで道は拓けるしかしチェーン展開するには会社としての体力がまだ十分ではなかった。三光マーケティングフーズの売り上げを大きく伸ばしたのは、バブル崩壊後の1998(平成10)年、新宿東口に個室居酒屋 「 東方見聞録 」 をオープンさせてからである。「 居酒屋に個室を 」 という明確なコンセプトを打ち出し他社との徹底的な差別化を図った。それが大ヒット。そこから派生して 「 月の雫 」や低価格居酒屋 「 金の蔵Jr. 」 が誕生し店舗はどんどん拡大していった。今では他社が追随するほどに個室居酒屋はメジャーな業態となった。

そして新たな飛躍を求めて、打って出たのが牛丼業界である。2011年池袋西口に <焼き牛丼> を看板メニューに掲げ 「 東京ちからめし 」 をオープンして以降、首都圏を中心に出店ラッシュを続けることになる。



平林実氏

株式会社三光マーケティングフーズ

http://www.sankofoods.com/

代表者:代表取締役社長 平林実氏
設立:1977年(昭和52年)4月
所在地:東京都豊島区南池袋3-9-5 サトミビル1F
事業内容:飲食店の経営(居酒屋・牛丼・うどん・イタリアンパスタなど)

代表取締役 平林実氏プロフィール
1949(昭和24)年 東京都大田区生まれ。法政大学経営学部卒業後、レストランを経て、1975(昭和50)年に 「 三光亭 」 を創業。

文:齋藤栄紀 人物写真:酒美保夫
写真協力:月刊飲食店経営

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