昭和26年(1951年)に創業した ロイヤルグループ は、長い歴史のなかで変わることなく 「質の追求」 を事業活動の中心にしてきた。グループの基幹事業でもある「ロイヤルホスト」は、昭和46年(1971年)に福岡で誕生して以来、「多くのお客様に、美味しい食事をもっと気軽に楽しんでいただきたい」という思いから全国にネットワークを広げている。美味しさと料理の品質にこだわるというグループの一貫した姿勢は、高い調理力につながり、さまざまな食文化の提案へとつながっている。今も変わらぬ徹底した企業姿勢や移りゆく時代への適応力などロイヤルが持つ企業力について、執行役員・佐々木徳久氏へのインタビューを元に迫ってみたい。
― 昭和52年(1977年)に東京進出を果たされましたが、どのように成長されていったのでしょうか?
【 佐々木氏 】 昭和44年(1969年3月)に第二次資本自由化が実施されて、外国企業が日本で商売できるようになり、デニーズやマクドナルドなどが次々と出店してくるという波が1970年代に起こりました。海外のファストフードやファミリーレストランが入ってきて、70年代後半はモータリゼーションの発達とともに店舗数が増えていく傾向で、デニーズさんは神奈川を中心に広がっていきました。国立で創業されたすかいらーくさんは、多摩地区で出店を強化していく中で、ロイヤルホストは福岡で頑張っていましたが、出店スピードも売上高もなかなか上がっていかないのが実状でした。創業者の江頭は、東京の市場の大きさに驚き、うらやましくも思ったそうです。そのような時に、すかいらーくの横川さんからリース方式というのを教えてもらっているのです。
オーナー様から土地を借り、建物も建ててもらう。そのコストを月々の家賃で払って返していくというシステムです。それまでは土地を買って出店すること基本としていたのです。それではとても出店が続きませんよね。すかいらーくさんはもちろん競合企業ではありましたが、お互いに協力する関係でもありました。弊社からは、セントラルキッチンなどレストランのノウハウをお教えして、先方からはリース方式という運営方法を教えてもらう。そうやって競い合って出店していきました。
すでに周囲にすかいらーくの店舗がたくさんあるところに、東京一号店となるロイヤルホストを三鷹に出店しました。8月にオープンしましたが、グループ内で 「 三鷹事件 」 と呼ばれる出来事が発生して、一度閉店をしているのです。たまたま、店舗の近くで夏祭りが行われていたらしく、祭りに参加していたフンドシ姿の男性がたくさん店に詰めかけていたんです。その光景を目にした江頭が、閉店を指示したのです。再オープン後は、近隣のエリアにも出店していくのですが、実はどこもあまりうまくいかなかったのです。その理由は、福岡から来た人には、東京の物件や立地が分からなかったから。もうひとつは、良さそうな物件を見つけて、オーナーにお願いをしにいっても 「 そんな会社は聞いたことがない 」 と貸してくれないのが原因でした。地域活動にも参加して、横のつながりを得ながら出店していきましたが、やはりうまく行きませんでした。5店目にあたる世田谷区の馬事公苑店がうまく行かなかったら、東京からは撤退しようと考えていたら、そこが当たったのです。馬事公苑店がうまく行ってなかったら、東京には 『 ロイヤルホスト 』 はなかったでしょうね。
― 外食ブームやバブル崩壊など、市場が大きく変動した80年代からはどのような戦略を取っていたのですか?
【 佐々木氏 】 80年代のエポックで一番大きいのは株式を上場したことです。上場によって資金が潤沢になっていきましたから、出店という事業投資にどんどん向かっていくわけです。だから、80年代はどこの会社も積極的に出店していました。初期のファミリーレストランの御三家といわれている店舗のピークは88~89年頃だったと思います。
それが90年代になると、すかいらーくがガストに業態変換していくなど、徐々に競争環境の変化が目立ち始めました。それでも私たちは、変えることをしませんでした。「 ロイヤルは値段が高いからダメ 」 と言われて、私たちも値段を下げるべきでなないかと議論をしました。低価格店舗というのはトレードオフ(一方を追求すれば他方が犠牲になる、二律背反の状態のこと)で、お客様に少々ご面倒をお掛けする代わりに、その分値段を下げるという発想のレストランです。それは、『 ロイヤルホスト 』 ではないというのが議論の末に出された結果でした。ロイヤルは、レストランの王道を歩もうというのが結論だったのです。本当に満足いただけるような味とサービスを提供するという方針をきちんと出して、2~3年は赤字になってもいいから、コックやスタッフを再教育する、店舗をきれいにする、品質を高めていくという方針にしました。それで棲み分けを図ろうとしたのですが、低価格帯店舗によってかなりの打撃を受けたのは事実です。
90年代後半から2000年代になってくると、サイゼリヤをはじめとした低価格帯の店舗も増え、新興勢力のココスなども出てきて、よりマーケティングという思想のもとでの商品開発が重要になりました。デニーズ・すかいらーく・ロイヤルホストが3強だった時代は、あまり選択肢がなかっただけに、ある意味企業側が大事にしているものを商品化していれば選んでもらえる状況でした。ですから、お客様に対してより目を向けていこうという目標を持った店、低価格帯の店が出てきたために、ロイヤルの売上がだんだん厳しくなっていったというのが現状なのです。5年ほど前には、これからの 『 ロイヤルホスト 』 をどうしていけばいいのかを考えて、その地域に馴染むための店舗形態を模索したり、和食を出してメニューバラエティを広げた時期もありました。ある意味、店舗を変化させたわけですが、それでも私たちの中には、創業者の江頭や先輩達から教わってきたことが中心にありました。それは、「 ロイヤルホストは、QSCA (Quality=品質、Service=サービス、Cleanliness=衛生、Atmosphere=雰囲気) という王道を大事にする 」 ということです。商品の値段は時代によって上下する傾向があるでしょうが、サービスが良くて、料理がおいしくて、本当にくつろげる空間を提供するという3つを守っていれば、飲食店というのはそれほどおかしなことにはならないはずです。店舗がおかしくなっていたら、その3つをきちんとすれば改善できます。現在は、その考え方に立ち返って、ロイヤルホストを再構築しているという状況です。
ロイヤルホールディングス株式会社
http://www.royal-holdings.co.jp/
【代表取締役社長】菊地 唯夫氏
【本社】福岡県福岡市博多区那珂3-28-5
【東京本部】東京都世田谷区桜新町1-34-6
昭和26年(1951年) 日本航空国内線の営業開始と同時に福岡空港において機内食搭載と喫茶営業を開始。福岡市堅粕で製菓・製パン業を開始。
昭和28年(1953年) 福岡市東中洲にレストラン「ロイヤル中洲本店(現花の木)」を開業、有限会社ロイヤルを設立
昭和29年(1954年) ロイヤル中洲本店にマリリン・モンロー、ジョー・ディマジオ夫妻来店
昭和31年(1956年) ロイヤル株式会社(資本金1,000千円)を福岡市東中洲に設立
昭和37年(1962年) セントラルキッチンシステム(集中調理方式)を採用、業務用冷凍料理の製造に着手
昭和45年(1970年) 大阪万国博覧会のアメリカゾーンに外国店扱いで出店
昭和46年(1971年) ロイヤルホスト1号店を北九州市の黒崎に出店
昭和53年(1978年) 福岡証券取引所に上場
昭和57年(1982年) 東京都世田谷区桜新町に東京本社(現東京本部)を設置
平成2年(1990年) 福岡市博多区那珂の本社・工場(ロイヤルセンター)再構築工事の竣工
平成17年(2005年) 持株会社制に移行し、会社名をロイヤルホールディングス株式会社に変更
事業統括本部 執行役員 佐々木徳久(ささき・のりひさ)氏
昭和37年東京生まれ。法政大学文学部に在学中からロイヤルホストでアルバイトスタッフとして働く。卒業後、ロイヤル株式会社(現ロイヤルホールディングス株式会社)入社 。ロイヤルホスト南東京地区長、業態開発室長、西日本事業部長を経て、平成17年にロイヤル九州(現ロイヤル西日本株式会社)代表取締役社長に。平成20年からロイヤルホールディングス株式会社執行役員となる。
取材協力:管理本部広報室PR担当リーダー 古城尚之氏