モスバーガー、テリヤキバーガー、ライスバーガー、ニッポンのバーガー匠味…。 オリジナリティーのあるハンバーガーを追求しつづけ、食の安全や健康にも積極的なモスバーガーの企業姿勢は、どこから生まれてきたものであろうか。飲食業に懸ける同社の思いを含め、その歴史や戦略を振り返ってみる。
第 1 回 |
日本人だから作れる日本向けのハンバーガーをモスフードサービスの創業社長である故・櫻田慧(さくらだ・さとし)は、大手証券会社勤務時代に米国へ赴任した際、ハンバーガーの美味しさにふれて、“日本でも受け入れられるに違いない”と感じていたという。食べた時は、まさか自分がハンバーガー屋をやるとは夢にも思わっていなかったわけだが、大手チェーン店ではなく地元の店主が地域の人々に提供する温かみのある、美味しいハンバーガーに深い感銘を受けたのである。 会社の都合により志半ばで日本へ戻ることになった櫻田は、証券会社を退職して独立、当初は皮革製品の販売事業等を行ったが業績は芳しくなかった。新しい事業展開を考えていたところ、アメリカで食べた印象的な味が甦ってきたのだった。そして、櫻田が初めてハンバーガーを食べてから 9年が経過した1971年、時代が彼を後押しする。銀座三越にマクドナルド日本1号店がオープンしたのである。オープン日に訪れ、その盛況ぶりを目の当たりにして櫻田が得たものは2つ。ひとつは、“日本にハンバーガーの時代が来る”という確信。もうひとつは、自分がハンバーガー屋になるなら“逆のことをやる”という発想であった。逆というと語弊があるかもしれない。「アメリカの味をそのまま持ってくるという手法では大資本相手に敵うわけがない。ならば、自分なりのハンバーガー作って、伝えていこう」というのが彼の真意だ。そして、その答えは、日本の食材を取り入れた、日本人が美味しいと感じる味付けのオリジナルハンバーガー「モスバーガー」だったのである。「モスバーガー」やアメリカの味を再現した「ハンバーガー」などをラインナップとしたモスバーガー実験店は、1972年3月に東京都板橋区の東武東上線・成増駅前商店街にオープンした。
モスバーガー 1号店から脈打つ、“お客さまを幸せに”という意識モスバーガーの「 MOS」は、MOUNTAIN(山のように気高く堂々と)、OCEAN(海のように深く広い心で)、SUN(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)という意味がある。人間と自然への限りない愛情、このような理想の人間集団でありたいという願いを込めて、櫻田が名づけたものだ。現在のモスフードサービスの企業目標である「食を通じて人を幸せにすること」にも受け継がれている表現である。また、櫻田は自ら店頭に立ちながら、「お客様に喜んでもらえる、感謝される仕事をしよう」という志を持っており、フランチャイジーにも志の共有を強く求めていた。 1号店開業(実験店を移転して72年6月開業)の直後から、モスフードサービスはフランチャイジーの募集を始めている。73年11月に名古屋市でオープンしたFC1号店を皮切りに、76年には50店、86年に500店(同年、外食産業初の47都道府県出店を達成)、91年に1000店舗を出店、現在も着実に店舗を増やし、2010年3月期には1650店体制を目指している。当初は、個人でのFC加盟が多かったが、これは加盟する本人に実際に店に立ってもらうという方針から。櫻田自身がそうであったように、自分の店を持つ以上は、自分でハンバーガーを作ってお客さまに提供し、目の前で食べてもらい、「美味しかった、ごちそうさま」といってもらえることに喜びを感じてほしい。そうでなければ、モスバーガーの理想や目標を共有できないというわけである。志のベクトルを合わせられる人物に参加してもらうことで連帯感を生み、フランチャイザー・フランチャイジーという関係以上に同じモスバーガーチェーンを大きくする集団を目指してきたのだ。 現在もその方針は変わっていないが、ボランティアの FC加盟を募集しているのではない。ビジネスである以上、儲けを出さなければ、次の幸せをお客様に提供することはできない。ただ、楽をして儲かる、モスだから成功するという仕事ではないということだ。 |