昭和恐慌真っ只中の昭和7年(1932年)に京樽は京都の地で創業した。その前年に満州事変が勃発し、当年には、五一五事件が、そしてその翌年には国連からの脱退と、まさに戦争への流れが加速していた時代のことである。
京樽は、大ヒット商品となった「茶きん鮨」の開発、日本初のセントラルキッチンの建設、和食業界初の上場、海外展開店舗数約260店舗といった光り輝く歴史を持つ反面、平成9年(1997年)には、会社更生法の適用という事実上の倒産といった苦難の歴史も経験してきた。
しかし、平成17年(2005年)9月にジャスダック証券取引所に再度上場を果し、今年(2007年)3月には、創業75周年を迎えた京樽の不撓不屈の歴史を紐解いていきたい。
外食企業にとっては、これからのシーズンが書入れ時として非常に重要な時期となる。クリスマス、お正月、節分そしてバレンタインデーという、まさに国民をあげてのイベントとも言える時を迎えることになる。
本稿の最後に、お正月のおせち料理と節分の恵方巻きに対する京樽の商品と販売戦略を見ていきたい。
おせち料理は、御節料理と書き、節日のお祝い膳として提供される料理が 「 御節料理 」 である。現代では、一般に祝い風習のある節日が正月のみとなったので、お正月のために、大晦日の日までに作られる料理をおせち料理と呼ぶようになったと言う。
おせち料理の基本としては、お屠蘇・祝い肴三種・お雑煮・煮しめが挙げられ、祝い肴三種・煮しめが重箱に詰めて提供される。現代では、おせち料理とは一般的に重箱に詰めて提供される料理を指す。
それでは、具体的にどの様な料理が使われるのかを京樽のおせち料理と比べながら見ていきたい。
まず、正月のお祝いには欠かせない祝い肴三種は、子孫繁栄を願って食される 「 数の子 」 魔よけの黒にまめに働きまめに暮らせる事を願って食される黒豆豊作を願って食される 「 田作り 」 である。ちなみに関西では、田作りの代わりにやはり豊作を願って 「 たたき牛蒡 」 を食すようである。
重詰めは、伝統的には五段重を用いるが、近年では、省略され三段重を用いる事が多くなった。ちなみに京樽が提供する 「 夢 」 も三段重を用いている。
一般的に、一の重には祝肴や口取り、二の重には酢の物や焼物、三の重には煮物を中心に詰めるとされているようだが、土地柄や家風によっても違い絶対的な詰め方は無い様である。京樽の重詰めは、百貨店等に陳列される事より、基本はおさえながら見栄え、豪勢さにも配慮されている。
一の重には、基本である数の子・黒豆といった祝肴や紅白すあまといった餅のほか、鯛の姿焼き、ずわい蟹爪、いくら、貝柱雲丹和などの豪勢な食材や口取りの栗きんとんなどの色見の良い食材が詰められている。
二の重には、ロブスター、黒豚スモーク、鳴門玉子、市松錦糸巻といった見栄えや素材にこだわった食材の他、祝肴の田作り、焼物の鰆幽庵焼といった基本食材が詰められている。
三の重は、海老つや煮、梅人参、里芋の白煮、こんにゃく有馬煮、筍ふくませ煮、蓮根、牛蒡旨煮、ふきふくませ煮、椎茸旨煮、くるみ甘露煮とほぼ基本通りに煮物が並んでいる。この重で特長的なのは、京樽の代名詞となっている茶きん鮨に似せた、姫しぼりであろう。白身魚のすり身に蟹肉などを混ぜ、茶きん鮨同様に錦糸玉子で包んで、蒸し上げた逸品である。
京樽のおせち料理の特長としては、まず、関東圏を中心とした店舗展開を行っている京樽であるが、創業の地でもある京風のさっぱりとした味付けをしているところがあげられる。
更に、冷凍配送を使わず、冷蔵配送を使用していることであろう。これは、冷凍配送をすると解凍が難しく、どうしても風味が落ちてしまうため、素材にこだわる京樽としては、徹夜に近い作業と手間暇がかかるにせよ、配送前日に重詰め作業を行い、冷蔵配送をする事にこだわっているのである。
ちなみに、おせち料理の下作りと重詰め作業は、全て、煮物ラインで HACCP認証を取得済みの埼玉県の幸手工場で行っている。
おせち料理に関する販売戦略は、リピート顧客の掘起しと新規顧客への視覚でのアピールである。
前者に関しては、前年度に購入いただいたお客様に対し、 DM発送による掘起しを行っている。毎年行っているが、一般のDM比べてリピート率が高いと判断している。今年度もDM発送を行っているが、10月20日の段階でも注文が入り始めている。これは、京樽のおせち料理を支持する顧客が多くいる事であろう。
後者に関しては、京樽全店におけるポスター・チラシによる告知や媒体紙を使って告知していく。
なお、ホームページ上からも予約が可能となっているので、ご興味のある方は、 こちらからお申込 いただきたい。
最後に、恵方巻について触れて、この項を締めさせて頂く。
恵方巻の起源については、諸説あるが、ここでは、京樽が取っている説で説明したいと思う。
節分の夜、恵方(その年の歳徳神がいる方角)に向って無言で 「 巻ずし 」 を丸かぶりすると、その年に幸福が訪れると、言い伝えられている。豊臣秀吉の家臣・堀尾茂助吉晴が、たまたま節分の日に巻ずしのようなものを食べて出陣し、戦いに大勝利をおさめたからともいわれている。
さて、京樽では、幸運巻(おぼろ、かんぴょう、玉子、きゅうり:400円)、招運巻(きんし玉子、かんぴょう、玉子、しいたけ、穴子、カニカマ:450円)、開運巻(かんぴょう、玉子、高野豆腐、焼穴子、カニカマ、みつば:600円)そして吉運巻(きんし玉子、厚焼玉子、きくらげ、玉子、高野豆腐、穴子、かんぴょう、鰻、京人参:800円)の4種類の恵方巻を販売した。
※名称・中身・金額は全て 2006年販売実績
この内、例年最も売れるのが、幸運巻である。これは、リーズナブルな価格で提供されているにもかかわらず、ほとんど全て店舗において巻かれるという手間隙のかかる一品である。 1本を巻上げるのに、熟練の職人でも15秒~20秒もかかってしまうため、前日の2月2日はほぼ徹夜の作業になってしまうと言う。
しかし職人の苦労も例年ほぼ完売すると言う実績により報われている。この日の店舗売上は、普段の日と比較すると約 4倍(2月の同曜日比較)もの売上になるという。例年この日に、店舗における最高売上記録が出ると言うのも頷ける。
本社サイドでも、「 店舗で巻く本数は、すでに限界に達している。今後は、その他の方法も併せて製造数を増やしていく事になるが、店作り中心の販売は今後も続けていく事になるだろう 」(同社・総務部・広報担当・星野氏談)と語る。
さて、もともと関西地方で食されていた恵方巻も今や全国区になった観がある。関東圏を中心として店舗展開を行っている京樽でも、ほぼ全店において完売状態になるという。そのためには、かなりの広告宣伝活動を行っているのであろうと思われるが、実態としては、ほとんどその様な活動は行わないと言う。
今や国民的行事となったバレンタインデーのチョコレートの販売と同様、節分の時期には、自然に社会的に話題となるので、各企業が特別な広告宣伝活動を行う必要が無いようである。
社会現象化する商品があるというのは、外食企業にとっては強みと言えるのかもしれない。
株式会社 京樽
昭和7年に割烹料理店として創業。
昭和27年から現在のような上方鮨を主とする持ち帰り店や、和食を中心とするファミリーレストランのチェーン展開に進出。
その後も日本初となるセントラルキッチンの建設や、業界に先駆けたメニューへの「エネルギー量(カロリー)」表示など、美味しさとともに「健康」をお客さまにお届けするために新たな挑戦を重ねて行く姿勢は、京樽の伝統として現在も脈々と受け継がれている。
取材協力:株式会社京樽 管理本部 総務部 広報担当 星野智信氏
参考資料:
株式会社 京樽 「会社案内平成4年号」
外食産業総合調査研究センター・ 外食企業の発展過程と財務-(株)レストラン西武、(株)東天紅、(株)京樽の分析(1985年)