昭和恐慌真っ只中の昭和7年(1932年)に京樽は京都の地で創業した。その前年に満州事変が勃発し、当年には、五一五事件が、そしてその翌年には国連からの脱退と、まさに戦争への流れが加速していた時代のことである。
京樽は、大ヒット商品となった「茶きん鮨」の開発、日本初のセントラルキッチンの建設、和食業界初の上場、海外展開店舗数約260店舗といった光り輝く歴史を持つ反面、平成9年(1997年)には、会社更生法の適用という事実上の倒産といった苦難の歴史も経験してきた。
しかし、平成17年(2005年)9月にジャスダック証券取引所に再度上場を果し、今年(2007年)3月には、創業75周年を迎えた京樽の不撓不屈の歴史を紐解いていきたい。
一方、京樽のメイン部門でもあるテイクアウト部門も積極的に店舗展開を進めていった。
4月に会社更生手続きが完了した、平成14年の2月に、まず、伊勢丹新宿本店(新宿伊勢丹)に新コンセプトショップ 「 Sushi Avenue K's 」 をオープンした。この店舗は、新宿伊勢丹との共同開発で誕生した業態である。新宿伊勢丹の客層を分析し、ロールずし(裏巻き鮨)をメインに、定番の江戸前鮨、上方鮨の詰め合わせを豊富に用意し、テイクアウト用の箱は、まるでケーキが入っているような綺麗なパッケージを使用することにした。JR京都駅ビルの新規オープンに伴い、京都伊勢丹にも出店した。
同年の6月には、 「 Sushi Avenue K's 」 の盛況を受けて、同じコンセプトの店舗のチェーン展開を見据え、新しいテイクアウト業態の 「 SUSHI COAST 」 を出店した。英語店名からもわかるように、この業態は、アメリカの西海岸をイメージした店舗で、定番の江戸前鮨、上方鮨の詰め合わせに加え、米国で流行のロールずしなどの独創的な 「 SUSHI 」 やお弁当類を取り揃えたものとして開発された。
平成16年9月には、高級上方鮨テイクアウトショップの 「 味燈守卓 」 の第1号店を小田急新宿本館にオープン。この店は、「 伝統の技を守り、選りすぐれた味を求めていく 」 そんな食へのこだわりを店名とし、上方鮨の 「 粋 」 を提案し、厳選した素材にひと手間かけることにより、素材の魅力を最大限に引き出している。
京樽では、出店場所別、時間帯別での業態を模索していた。テイクアウト業態のメインの商品は、巻き鮨、押し鮨に代表される上方鮨であった。関東圏では、昼食の商品としては、上方鮨も食されるが、夕食の商品としては、握り鮨を中心とした江戸前鮨が好まれる。また、住宅街、街中では主婦やサラリーマンを中心に昼食としての販売が多いが、駅ナカとなると夕食としての販売がメインとなる。
そこで、同年12月には、江戸前テイクアウト専門店の 「 みさきずし 」 の第1号店を、千葉県のJR千葉駅ビルにオープンした。
この当時、京樽は、店舗開発のみならず、衛生管理にも力を注いでいた。その一環として、HACCP( Hazard Analysis and Critical Control Point)の取得に向けた取り組みをおこなった。
平成12年(2000年)には、雪印集団食中毒事件、平成14年には、雪印食品、日本ハムによる牛肉偽装事件などがおこり、食に対する、安全、安心が注目されていた時期でもあった。
HACCPを取得する事により、お店にHACCP認証の掲示ができ、お客様に対して、京樽の安全性を訴え、安心していただくことができる。そして、何よりも社員のモチベーションを高める事にも寄与すると考えた。
平成14年11月には、千葉県の船橋炊飯工場の炊飯ラインでHACCPの認証取得し、平成17年、7月に福島工場の本玉(玉子焼き)製造ライン、10月には埼玉県の幸手工場の煮物ラインで、HACCP認証の取得をした。
株式会社 京樽
昭和7年に割烹料理店として創業。
昭和27年から現在のような上方鮨を主とする持ち帰り店や、和食を中心とするファミリーレストランのチェーン展開に進出。
その後も日本初となるセントラルキッチンの建設や、業界に先駆けたメニューへの「エネルギー量(カロリー)」表示など、美味しさとともに「健康」をお客さまにお届けするために新たな挑戦を重ねて行く姿勢は、京樽の伝統として現在も脈々と受け継がれている。
取材協力:株式会社京樽 管理本部 総務部 広報担当 星野智信氏
参考資料:
株式会社 京樽 「会社案内平成4年号」
外食産業総合調査研究センター・ 外食企業の発展過程と財務-(株)レストラン西武、(株)東天紅、(株)京樽の分析(1985年)