昭和恐慌真っ只中の昭和7年(1932年)に京樽は京都の地で創業した。その前年に満州事変が勃発し、当年には、五一五事件が、そしてその翌年には国連からの脱退と、まさに戦争への流れが加速していた時代のことである。
京樽は、大ヒット商品となった「茶きん鮨」の開発、日本初のセントラルキッチンの建設、和食業界初の上場、海外展開店舗数約260店舗といった光り輝く歴史を持つ反面、平成9年(1997年)には、会社更生法の適用という事実上の倒産といった苦難の歴史も経験してきた。
しかし、平成17年(2005年)9月にジャスダック証券取引所に再度上場を果し、今年(2007年)3月には、創業75周年を迎えた京樽の不撓不屈の歴史を紐解いていきたい。
順調に店舗数を拡大していった京樽に激震が走ったのは、平成9年(1997年)1月のことであった。京樽が東京地方裁判所に会社更生手続開始申立てをおこなったのである。寿司のお持ち帰り店などの本業は堅調で、前年度(1996年12月期)も4億円の営業利益を出していたほどである。バブル期の財テクや不動産投資などによる過大な負債が原因であった。このことから、当時は 「 負債を減らすことにより、再建は比較的楽に出来る 」 と言う声が一般的であった。
また、社内でも誰もがまさか倒産するとは思ってもみなかった。事実、本社スタッフの多くは、夕食の食卓で見たニュースで初めて知ったり、店舗においても、お客様から 「 大変な事になってしまったね 」 と教えてもらって初めて知ったりしたほどであった。
しかし、本社スタッフの説明による素早い対応により、店舗では、大きな混乱や動揺もなく、営業を継続することができた。
ただ、仕入れ関係が非常に困難を極めた。発注を受けてもらえないだけではなく、既に納入が決まっているものも納品を止められてしまった。これに関しては、各担当者が納入先を足繁く回り、事情を真摯に説明する事により何とか乗り切って行った。
同年の3月に東京地裁から会社更生開始手続決定の通知が出ることになる。東京地裁と保全管理人は、京樽の支援企業として会社更生法の適用申請直後にいち早く手を上げた、冷凍食品大手の加ト吉を選定した。しかし、この後京樽の再建への道のりは、決して平坦であったわけではない。
翌、平成10年(1998年)の3月期の営業利益は、1億円を下回る7,000万円。更に、平成11年(1999年)3月期決算は、前年より持直したとはいえ、3年前の平成8年度と同じ4億円の営業利益にとどまった。
そのような状況の中、この年(平成11年)の4月の末に、吉野家D&C(現:吉野家ホールディングス)が京樽の支援に乗り出すことになったのである。
加ト吉の際は、外食企業ではなく、食品メーカーであったため、外食チェーンの経営ができるのか否かと言う若干の不安はぬぐえなかった。しかし、吉野家は、昭和55年(1980年)に京樽と同様に会社更生法の適用を受けた経験もある外食企業であったため社内外では好意的に受止められた。
事実、京樽は吉野家から様々なノウハウを受けることができた。それまで、京樽は発注方法、仕入れ方法、生産方法においてどんぶり勘定的なところが多々見受けられた。POSシステムにおいても有効に活用されることも無く、販売における対前年比の活用がなされずに、品切れをおこし、慌てて近所の店に食材を買いに行くといったことも珍しくは無かった。
これに対し、吉野家は無駄なところを全て省いてスリム化していくというコスト管理のノウハウを持っていた。例えば、データを駆使することで、予測による計画、予測による発注、予測による生産を行い、品切れや食材廃棄をなくす事により無駄を排除し、財務上かなり改善する事ができた。
会社更生法の適用申請からほぼ5年、吉野家D&Cが支援に乗り出してから、3年後の平成14年4月に、京樽の会社更生手続きは終了した。
そして、平成17年(2005年)9月に、京樽はジャスダック証券取引所に上場を果たす。平成9年4月の東京証券取引所第一部から上場を廃止してから8年の月日を経て、名実ともに再生を果たしたと言えよう。
この上場は、信頼回復の証として社員に喜ばれただけではなく、京樽の苦難の時代をともに支えてきてくれたともいえる取引先の各企業にも喜ばれた。
株式会社 京樽
昭和7年に割烹料理店として創業。
昭和27年から現在のような上方鮨を主とする持ち帰り店や、和食を中心とするファミリーレストランのチェーン展開に進出。
その後も日本初となるセントラルキッチンの建設や、業界に先駆けたメニューへの「エネルギー量(カロリー)」表示など、美味しさとともに「健康」をお客さまにお届けするために新たな挑戦を重ねて行く姿勢は、京樽の伝統として現在も脈々と受け継がれている。
取材協力:株式会社京樽 管理本部 総務部 広報担当 星野智信氏
参考資料:
株式会社 京樽 「会社案内平成4年号」
外食産業総合調査研究センター・ 外食企業の発展過程と財務-(株)レストラン西武、(株)東天紅、(株)京樽の分析(1985年)