昭和恐慌真っ只中の昭和7年(1932年)に京樽は京都の地で創業した。その前年に満州事変が勃発し、当年には、五一五事件が、そしてその翌年には国連からの脱退と、まさに戦争への流れが加速していた時代のことである。
京樽は、大ヒット商品となった「茶きん鮨」の開発、日本初のセントラルキッチンの建設、和食業界初の上場、海外展開店舗数約260店舗といった光り輝く歴史を持つ反面、平成9年(1997年)には、会社更生法の適用という事実上の倒産といった苦難の歴史も経験してきた。
しかし、平成17年(2005年)9月にジャスダック証券取引所に再度上場を果し、今年(2007年)3月には、創業75周年を迎えた京樽の不撓不屈の歴史を紐解いていきたい。
戦争の足音がコツコツと聞こえ始めた昭和7年(1932年)の3月に京都・河原町松原に一軒の割烹料理店が誕生した。創業者・田中四郎の手による、後の京樽である。店は間口二間(約3.6m)、カウンターが1本だけという小さな店だったが、大層繁盛をした店だったという。
創業してから2年たったある日の事、店で出す酒の徳利に、何か工夫がないものかと考えていた四郎は、小型の杉樽を創案した。この杉樽の制作は、四条縄手の名工 「 樽源(たるげん) 」 によるもので、小型杉樽の徳利は、当時大変好評を博し、お店のシンボルとして親しまれたという。
昭和13年(1938年)に東京に進出する際に、独自の暖簾で店を出したいと考えていた四郎が、自分の旧姓である京極の 「 京 」 と、樽源の 「 樽 」 をもらって名づけた屋号が、「 京樽 」 なのである。そして、同年3月に東京・日本橋人形町に料亭 「 京樽 」 が開店した。
時は経って昭和25年(1950年)に 「 京樽 」 は、資本金50万円で平安興業株式会社を設立し法人組織となる。その後、昭和29年(1954年)に屋号である 「 京樽 」 の名を使用し、商号を株式会社京樽に変更し、現在に至ることになる。
戦時中に勤労動員として徴用されていた四郎は、終戦後に復員をして、戦火を免れた日本橋人形町の店を昭和 22年(1947年)にふぐ料理店として復興した。そして、昭和25年(1950年)から始めたお土産用の上方鮨のバッテラが大評判になる。バッテラは、大阪で生まれた鮨で、コノシロ(コハダの成魚)が使われていた。このコノシロを酢〆にして鮨にすると真ん中が太く、魚の尾がピンと跳ね上がってボートの形に似ていた事から、ポルトガル語で小船を意味する 「 バッテイラ(BATEIRA) 」 ⇒ 「 バッテラ 」 と呼ばれるようになったと言われている。今では、バッテラといえばコノシロではなく鯖を使ったものを指すのが一般的になっている。ちなみに、鯖は、頭の働きを活発にすると言われているDHA(ドコサヘキサエン酸)の含有量がひかりものの中で一番多く、コレステロールの低下に効果があると言われている不飽和脂肪酸、EPA(エイコサペンタエン酸)も豊富な魚である。京樽のバッテラを食べられる事をお勧めする。
さて、時代をもとに戻そう。上方鮨の評判に気を良くした四郎は、本格的に鮨に取組む事にした。そのためには、強力なオリジナル商品が必要であると考え、日夜考案していたという。その中で生まれたのが、現在に至るまで消費者に親しまれている 「 茶きん鮨 」 である。
もともと四郎は、奈良生駒山の聖天さま(大聖歓喜天)を信仰し、東京に出てきてからも、浅草にある待乳山(まつちやま)の聖天さまへの参拝を欠かす事がなかったという。
その聖天さまの御紋章が 「 二股大根 」 と 「 巾着(砂金袋) 」 で、この見慣れた巾着の形から思いついて創案したのが 「 茶きん鮨 」 である。茶きん鮨には美味しさとともに、聖天さまの功徳、縁起のよさ、幸せを願う心もこめられているのである。
この昭和26年(1951年)の茶きん鮨の発売以降、京樽は大手飲食チェーンへと歩み始める事になる。茶きん鮨と上方鮨が大評判になるにつれ、百貨店を中心とするテナント誘致が京樽に舞い込んでくることになる。翌、昭和27年(1952年)に上野百貨店のれん街への 「 京樽 」 の出店を皮切りに、日本橋白木屋、八重洲大丸、池袋西武などへの出店を順調に進めて行った。
株式会社 京樽
昭和7年に割烹料理店として創業。
昭和27年から現在のような上方鮨を主とする持ち帰り店や、和食を中心とするファミリーレストランのチェーン展開に進出。
その後も日本初となるセントラルキッチンの建設や、業界に先駆けたメニューへの「エネルギー量(カロリー)」表示など、美味しさとともに「健康」をお客さまにお届けするために新たな挑戦を重ねて行く姿勢は、京樽の伝統として現在も脈々と受け継がれている。
取材協力:株式会社京樽 管理本部 総務部 広報担当 星野智信氏
参考資料:
株式会社 京樽 「会社案内平成4年号」
外食産業総合調査研究センター・ 外食企業の発展過程と財務-(株)レストラン西武、(株)東天紅、(株)京樽の分析(1985年)