「柿安編」美味しいものをお値打ち価格で ~柿安・業態開発の強みを探る~

外食企業物語 柿安編 美味しいものをお値打ち価格で 柿安・業態開発の強みを探る

今年で創業136年を迎える株式会社柿安本店。新興企業の多い外食産業の中、その伝統は今なお輝いている。創業以来、お客様第一主義を貫き、「美味しさへのこだわり」「お値打ち感へのこだわり」が企業理念として息づいている。文明開化の代名詞といわれた牛肉に早々に目をつけたその先見性は、現代においても同社の業態開発力に見ることができる。内食の精肉店、中食の惣菜店、外食のレストランと食の全てを網羅する総合食品企業「柿安」。その最も得意とする業態開発を中心に紐解いていきたい。なお、今回は代表取締役社長・赤塚保正氏の独占インタビューの模様を交えて物語を進めていく。

第1回 「お肉の柿安」誕生

第1回:「お肉の柿安」誕生

「美味しさへのこだわり」 ~柿屋の安さん登場~

「美味しさへのこだわり」 ~柿屋の安さん登場~文明開化の初期である1871年(明治4年)、現三重県桑名市に1店の牛鍋屋が開業した。「柿屋の安さん」こと柿安初代・赤塚安次郎の手による店である。

今では、当たり前のように食されている牛肉だが、当時は一部の特権階級の口にだけ入るもので、本格的に食されるようになったのは、翌 1872年(明治5年)に明治天皇が口にしてからというのが定説になっている。その前年に牛鍋屋を開業したという先見性は、明治初期に既にシルクハットをかぶっていたという安次郎の時代を見る目、時流に乗る積極性が生んだものといえるだろう。

「美味しさへのこだわり」 ~柿屋の安さん登場~赤塚家は、現在の三重県津市の出身で、柿安初代の安次郎は果樹園を経営していた。生産する果物の中で柿が美味しく、お値打ちだったことから、客の間で「柿屋の安さん」と呼ばれるようになったという。ちなみに、柿安のシンボルマークは、柿を上から見た形で、へたの文様が記されている。

美味しさを追い求めていた安次郎は、「タレ」と「肉質」が牛肉の美味しさを引き出すという結論に辿り着き、試行錯誤を重ねて秘伝のタレを作り出した。そして、美味しい牛肉を手に入れるため、農家に通いつめ、話を聞き、実際に牛に触れるなど研究に研究を重ねて、「血統」「環境」「えさ」が肉質を決める要因であることを突き止めた。このこだわりこそ、最高級品質の“柿安牛”を作り上げる基盤となったのである。

「美味しさへのこだわり」 ~柿屋の安さん登場~一方で、安次郎は店舗の演出にもこだわりを見せた。女中さんには、揃いの矢絣(やがすり)に赤い襷(たすき)、前掛けを着せることで、“江戸前風”の活気を演出。美味しい食事を雰囲気とともに気持ち良く召しあがっていただく。お客様の満足を第一に考えた安次郎の牛鍋屋は、必然的に大繁盛を成し遂げることとなった。

 

創業者の思いを脈々と引き継ぐ

「美味しさへのこだわり」 ~柿屋の安さん登場~柿安二代目の金太郎は、動物に強い興味と関心を持っていたという。安次郎が起こした牛鍋屋を引き継いだ後、「素材を知らなくては、お客様に満足していただける商品を提供することはできない」と考え、牧場を作り、牛を飼うことに乗り出す。柿安の牧場経営は、ここから始まっている。

三代目の二三雄は、現社長である六代目・保正の祖父にあたる人物。彼と妻・ひでは、夫婦で現在のレストラン事業の原点となる料亭を開業、夏はうなぎ、冬は伝統のすき焼きを提供して人気を博した。残念ながら、二三雄は早世してしまうが、将来の柿安発展に大きな意味を持つ功績を残した。四代目となる長男 安則を東京・銀座の関西割烹「出井(いづい)」に修行に出したことだ。安則の手によって「会席料理」という肉以外の日本料理が柿安にもたらされ、バラエティ豊かな商品戦略が可能になったのである。

柿安 系譜 (赤塚家) ≫クリックで拡大しますそして、 1968年(昭和43年)、一店の牛鍋屋から始まった柿安に転機が訪れる。創業100年を目前にし、法人組織の株式会社柿安本店に衣替えし、初代会長には、三代目二三雄の妻・ひで、社長には四代目安則が就任した。法人化当時は、料亭を2店舗経営、桑名の本店には安則、名古屋の名鉄メルサ店には次男で後に五代目となる保(現・会長)が店長として陣頭指揮を執っていた。その後、三重県・長島温泉に3店舗目を出店、やはり「出井」で修行をおこなった三男・正明が店長に就任した。

ホームページより(柿安スピリット)135年以上の歴史を持つ柿安だが、創業以来一貫して “ お客様第一主義 ” を掲げて、企業目線を常にお客様に向け、「 美味しい物をお値打ち価格で 」 という不変の企業理念を貫いている。現在の柿安は、「 精肉事業 」 「 惣菜事業 」 「 食品事業 」 「 レストラン事業 」 の4セグメントで企業活動を行っているが、いずれの事業にもこの企業理念がいまなお息づいている。

 



株式会社 柿安本店

株式会社 柿安本店

http://www.kakiyasuhonten.co.jp/

1871年(明治4年)、新時代の象徴である牛肉に魅せられた柿安初代・赤塚安次郎が三重県桑名市に牛鍋屋を開店して創業。1968年(昭和43年)11月の法人化以来、「牛肉しぐれ煮」をはじめとする各種総菜・精肉の販売を全国展開する一方、外食事業も強化。

平成7年に郊外型レストラン「柿安 柿次郎」を桑名市にオープン、その後もビュッフェレストラン「柿安 三尺三寸箸」、「讃岐きしめん 大吉」、飲茶ビュッフェ「柿安香港飲茶」など新業態を次々に出店。

2006年(平成18年)10月には、ビュッフェレストラン「柿安 国際美食」(中国・上海市)で海外にも進出している。精肉事業、惣菜事業、レストラン事業、食品事業の4事業で食文化を創造する一方、『美味しいものをお値打ち価格で』というお客様第一主義を貫いている。

赤塚保正 代表取締役社長

赤塚 保正

代表取締役社長

昭和38年(1963年)、三重県出身。
昭和62年(1987年)、慶應義塾大学法学部卒業後米国に留学。
平成元年(1989年)、株式会社柿安本店入社。
平成10年(1998年)、取締役レストラ ン営業部長、平成13年(2001年)、常務取締役レストラン営業部総支配人、平成16年(2004年)、専務取締役レストラン事業本部長兼精肉事業本部長等を歴任後、平成18年12月に代表取締役社長に就任。

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