「ストロベリーコーンズ編」一期一会の精神で幸運を運ぶ ~ストロベリーコーンズの“不変”の哲学を知る~

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る

昭和61年(1986年)11月、宮城県仙台市に1軒のピザ宅配の店舗が開店した。「ストロベリーコーンズ荒町通店」である。日本初の宅配ピザであるドミノピザが開店したのはその前年である。つまり、ストロベリーコーンズは日本における宅配ピザの草分けなのである。

ストロベリーコーンズの発展には、創業社長である宮下雅光氏の強力なリーダーシップとアイデア力を抜きには語れない。今回は、宮下社長の談話を交えて、同社の発展の歴史を紐解いていきたい。

第3回 待ちの業態でも攻めることが必要

第3回 待ちの業態でも攻めることが必要

- ところで、“ ストロベリーコーンズ ” という名前の由来は何ですか?

【宮下社長】 ストロベリーは、苺という意味ですよね。前回もお話しましたが、苺というのは傷みやすく、大切に扱わないと直ぐ駄目になってしまう。しかもハートのような形をしている。ここからお客様の心と同じじゃないかと気が付いたのですね。それと一期(いちご)一会という言葉。まさに我々の商売は、一度しかお客様に会わないかもしれない。でもその一度を疎かにしたらその後は無いのですよ。そういう意味を込めています。

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知るそして、コーンは 「 こぅん 」 、幸運なのです(笑)。我々は、お客様に幸運、それも “ ズ ” だから、沢山の幸運を運びたいという意味を込めています。

それにアイスクリームもやっていて、アイスクリームにはコーンを使うじゃないですか。それを言ったら身も蓋も無いですけど(笑)。

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る東京での市場調査、日本人の口に合うピザの開発、数万部に及ぶチラシの配布と満を持してのストロベリーコーンズの開店であったが、期待と裏腹にほとんど注文の電話が無かった。

東京に比べて仙台ではピザの知名度が低かったこともあるが、さらにピザの宅配と言う業態に対する認知度がほとんど無かった。

また、一般の外食店舗は、人の目に触れるところに出店し、積極的にお客様の来店動機を植え付けて商いを行っているが、ピザの宅配の場合は、あまり人目につかないところで店舗を構え、新聞折込のチラシを配布する程度で、後はひたすらお客様の電話を待つと言う、いわば待ちの外食業態である。

アイデアマン宮下氏は、ここに着目した。

- ストロベリーコーンズが事業として成り立っていく経緯をお教えください。

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る【宮下社長】 “ Made in Japan ” のピザは、必ずや仙台の人達にも受け入れて頂けると確信していました。ただ如何せん一度食べてもらわなければその良さもわかってもらえない。じゃあ食べてもらえばいいじゃないか。と言うことで公園での大試食会を行ったのです。集客のためにラジオと言うメディアの力を借りて。これが当たりましてね、物凄く多くの方に来ていただいて、小さなお子さんからお年寄りの方まで 「 ピザって美味しいね 」 と言っていただきました。

他にも色々とやりましたね。例えば、チラシを配るにしてもただ漠然と配るのではなく、お子さんにプレゼント付きで配ったのです。子供から 「 ここのピザを食べたい 」 と言われると親は弱いですからね (笑)。

後は、景品としてロゴ付きの車のサンバイザーをお渡ししたりしましたね。お客様には喜んで頂くだけではなく、自然と宣伝広告をやって頂いていたのです、一石二鳥でしたね (笑)。

FC1号店のお写真など、ありますでしょうか。ストロベリーコーンズの 1号店が開店した翌年の昭和62年(1987年)には、宮城県塩釜市にFCの1号店を開店した。

かねてより、外食店舗のチェーン展開を考えていた宮下社長は、本格的にチェーン展開に着手することになる。方法としては、直営方式ではなく FC方式によるチェーン展開である。そのためには店舗と本部を結ぶ確固たる情報システムの構築が必要と考えた。

- 情報システムの構築は、メーカーに任せたのですか?

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る【宮下社長】 当時、 IT企業で宅配業態のことを良く知っている人はあまりいなかったのですよ。パッケージ商品を自社のオペレーションでと押し付けるような感じでした。わかっていないんですね。店舗は戦場なんですよ。じっくり教えられるような時間も無いし、入ったばかりのパートやアルバイトもいる。彼らがすぐに使いこなせるようなものじゃないと駄目なんですよね。だから 「 現場を知りなさい! 」 って、お店に入ってもらったのですよ(笑)。頑張ってピザを作っていましたよ、IT企業のSEが(笑)。それでようやく何が必要でどうしなければいけないかということをわかって一緒に作り上げていったわけです。でも要件定義やシステム設計は私がやりましたけどね、得意分野だから(笑)。

こうして、平成 2年(1990年)、ストロベリーコーンズの戦略情報システム 「 SISTER 」 がリリースされた。

次回以降は、ストロベリーコーンズと宮下社長の現在に至るまでの取り組みと今後の展開についてお届けしたい。



株式会社いちごホールディングス

http://www.ichigo-net.co.jp/

昭和58年(1983年)日本シンク株式会社として設立
昭和61年(1986年)株式会社ストロベリーコーンズに商号変更
平成15年(2003年)株式会社いちごホールディングスに商号変更

本社:宮城県仙台市青葉区本町2丁目2番3号
事業内容:グループ会社の調達・物流業務及び持株会社としてグループ経営戦略の策定・管理

株式会社ストロベリーコーンズ

株式会社ストロベリーコーンズ

http://www.strawberrycones.com/

設立:平成15年(2003年)
本社:東京都港区浜松町2丁目7番16号 第3小森谷ビル6階
事業内容:フランチャイズチェーン本部事業 /ピザ等宅配事業/レストラン事業

宮下雅光氏

同社代表取締役社長 宮下雅光氏

1950年8月19日生まれ
北海道出身、 日本電子工学院 (現・日本工学院専門学校)卒業

社団法人日本フードサービス協会 副会長 兼 情報システム委員会 委員長
社団法人日本フランチャイズチェーン協会 常任理事
全日本デリバリー業安全運転協議会 副理事長

文:齋藤栄紀
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