「ストロベリーコーンズ編」一期一会の精神で幸運を運ぶ ~ストロベリーコーンズの“不変”の哲学を知る~

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る

昭和61年(1986年)11月、宮城県仙台市に1軒のピザ宅配の店舗が開店した。「ストロベリーコーンズ荒町通店」である。日本初の宅配ピザであるドミノピザが開店したのはその前年である。つまり、ストロベリーコーンズは日本における宅配ピザの草分けなのである。

ストロベリーコーンズの発展には、創業社長である宮下雅光氏の強力なリーダーシップとアイデア力を抜きには語れない。今回は、宮下社長の談話を交えて、同社の発展の歴史を紐解いていきたい。

第1回 異色の外食社長 登場

第1回 異色の外食社長 登場

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る株式会社ストロベリーコーンズの宮下雅光社長は、 IT業界の名門、日本IBM株式会社出身という外食企業経営者としては異色である。しかも、この業界の殆どの社長が、外食が好きでたまらなく起業をしている中、宮下社長は 「 最初は特に外食に興味があったわけでも無いし、好きだったわけでもない 」 と言って憚らない。

しかし自らの経歴を如何なく発揮し、ITを駆使すると共に持ち前のアイデア力を活かし、同社を大手外食企業に育て上げると共に、自らも 社団法人日本フードサービス協会(略称:JF)の副会長という重責についている。

ストロベリーコーンズ発展の歴史は、まさに宮下社長の歴史そのものなのである。同社について語る前に、まず宮下社長の歩みについて見て行きたいと思う。

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る宮下氏は、昭和25年8月に、テレビドラマ 「 北の国から 」 で有名な北海道の富良野で産声をあげた。その後、父親の仕事の都合で宮城県の仙台に移り住む事になった。

仙台の工業高校に進学した宮下氏は当時からコンピューターに魅せられ、地元の工業大学に推薦入学が決まっていたが、同大学にコンピューターの学科が無かったため、東京の日本電子工学院 (現、日本工学院専門学校)に進学をする事になる。

そして、昭和45年(1970年)に難関を突破し、 日本アイ・ビー・エム株式会社(日本IBM) に合格することになる。同校初の合格者でもあった。通常であったら翌年の入社になるが、同社の意向と学校側の理解で同年の11月に入社をする事になる。

難関を突破して入社した日本 IBMであったが、5年間の在籍で已む無く退社する事になる。

父親の事業が悪いと聞いての仙台帰郷であったが、戻ってみると事業は回復していた。

【宮下社長】 あの時は本当に参りましたね(笑)。お袋から家の事業が大変だと連絡が入って、戻ってみたら、事業が回復していた(笑)。もう辞表を出してしまっていたのですよ。だからIBMに戻る事もできない。当時仙台にはコンピューター会社なんか無かった。当時コンピューターを使っていたのは七十七銀行と東北電力位なものじゃないですか(笑)。

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知るこれは困った、どうしようと考えていたら、うちのかみさんが 「 山崎製パン のパンが美味しいから、パン屋(ヤマザキデイリーストア)をやろうと6坪の物件を借りたのですが、近くにヤマザキデイリーストアがあって、駄目という事になってしまったんですよ。またまた困ったことになって(笑)。結局コーヒー専門店、いわゆる喫茶店をやる事になったんです。それがこの業界に入るきっかけですね。

昭和50年(1975年)のことであった。

しかし、“ 好き ” で始めた事業ではなく 「 水商売 」 という気持ちが消えなかった。またIBMマンだったことのプライドもあったため 「 いらっしゃいませ 」 「 ありがとうございました 」 となかなか言えず、前向きに取組む事が出来なかった。

しかし店は繁盛した。6坪の店では手狭になってきたため、翌昭和51年(1976年)、2店目を出店する事にした。ここから持ち前のアイデアがこの業界でも花開く事になる。

一期一会の精神で幸運を運ぶ ストロベリーコーンズの不変の哲学を知る2店目は、ビルの三階に16坪の喫茶店をつくった。資金が無かったので仕方が無いが、如何にも三階に喫茶店とは無謀である。しかし、アイデアを駆使した。当時珍しかった女性向けの店舗にし、割引券を配ったり、新メニューを開発したりと様々なアイデア、企画を行うことで、大繁盛店となり、各種の飲食系の雑誌に取上げられるまでになった。

これに気を良くした宮下氏は、今まで妻と 2人でやってきたが、業務拡大のため社員を雇う事にした。

そして、昭和53年(1978年)に 「 チャーリーブラウン 」 という50坪の大型カフェレストランを出店した。しかしここで宮下氏は、大きな挫折を味わう事になる・・・

次回は、宮下氏の人生における大きな転機から、ストロベリーコーンズの誕生までをお届けしたいと思う。



株式会社いちごホールディングス

http://www.ichigo-net.co.jp/

昭和58年(1983年)日本シンク株式会社として設立
昭和61年(1986年)株式会社ストロベリーコーンズに商号変更
平成15年(2003年)株式会社いちごホールディングスに商号変更

本社:宮城県仙台市青葉区本町2丁目2番3号
事業内容:グループ会社の調達・物流業務及び持株会社としてグループ経営戦略の策定・管理

株式会社ストロベリーコーンズ

株式会社ストロベリーコーンズ

http://www.strawberrycones.com/

設立:平成15年(2003年)
本社:東京都港区浜松町2丁目7番16号 第3小森谷ビル6階
事業内容:フランチャイズチェーン本部事業 /ピザ等宅配事業/レストラン事業

宮下雅光氏

同社代表取締役社長 宮下雅光氏

1950年8月19日生まれ
北海道出身、 日本電子工学院 (現・日本工学院専門学校)卒業

社団法人日本フードサービス協会 副会長 兼 情報システム委員会 委員長
社団法人日本フランチャイズチェーン協会 常任理事
全日本デリバリー業安全運転協議会 副理事長

文:齋藤栄紀
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