「がんこフードサービス編」「美味しくて安い、そして楽しい」-日本の文化を守り続ける 関西外食産業界の雄「がんこ」

外食企業物語 がんこフードサービス編 「美味しくて安い、そして楽しい」 日本の文化を守り続ける 関西外食産業界の雄「がんこ」

関西圏を中心に94店舗の和食店を展開する がんこフードサービス は、同志社大学出身の創業者小嶋淳司代表取締役会長が大阪の十三に開業した4坪半の寿司店が始まりである。「 美味しくて安い、そして楽しい 」、このコンセプトには、本当に美味しい料理をリーズナブルに提供するだけではなく、食事の “ 場 ” や “ ひと時 ” を大事にしていきたいという気持ちが込められている。食文化を通じて、和の心や和の伝統を大切に守りながら事業展開をはかる 「 がんこ 」 の現状について、代表取締役社長の志賀茂氏にお話をうかがった。

第2回 がんこ 多店舗化への道

第2回 がんこ 多店舗化への道

1963(昭和38)年に開業した 「 がんこ寿司 」。4坪半の小さな立ち寿司店から始まったが、その後、寿司店としては超大型といえる100席を超える店舗をオープンさせた。そして、炉端焼き、とんかつといった新業態を展開させることにより事業を拡大していくことになる。ここからは、代表取締役社長の志賀茂氏にお話をお伺いしていくことにする。

外食企業物語 がんこフードサービス編 「美味しくて安い、そして楽しい」 日本の文化を守り続ける 関西外食産業界の雄「がんこ」- 志賀社長も同大のご出身ですが、学生時代から小嶋会長をご存知だったのですか?

私も学生時代から将来は自分で商売をしたいと考えておりました。その前に修行のために就職を考えていた時にゼミの教授から 「 それならOBで寿司屋をやっている男がいるから紹介しよう 」 と紹介されたのが、当時は小嶋商事の社長であった小嶋会長でした。結局、修行のまま社長になってしまいましたが(笑)。

入社は、1972(昭和47)年ですが、ちょうど多業態化を始めていた頃で、炉端焼き業態の1号店、「 梅田炉端焼き店 」 を出した翌年でした。最初は十三の寿司店に配属されましたが、2年目からは炉端焼き業態の方へ異動となりました。

がんこ十三寿司店- 話が前後してしまいますが、小嶋会長は、4坪半の立ち寿司店を始めた時から多店舗化は考えられていたのですか?

会長は生まれながらの商売人でしたから(笑)、最初から事業としてやって行こうと考えていたようです。2店目を出したのが1965(昭和40)年の 十三寿司店 でしたが、この店が106席という寿司店としては大型店だったのです。大きな店をつくるとなると、それなりの投資が必要になります。いくら最初の店が繁盛しているといってもそれを賄える程お金はありませんでした。そのような中で、お客様に信用金庫の理事の方がおられて、会長の真面目にコツコツとやる仕事ぶりを評価してくださり、「 彼だったらOKだ 」 と口利きをしていただき開店にこぎつけたのです。それでも半端な金額ではなかったのですが、お陰さまでこの店も繁盛することができましたのでここまで来ることができました。

- 3店舗目まで4年間のブランクがありますが、この理由をお教え下さい。

この時期、テイクアウトのビジネスをしていました。経営形態としては、別会社で運営していました。ちょうどダイエーさんとかジャスコさんといった大型のスーパーマーケットが広がっていた時期にあたります。スーパーマーケットの食品売り場の一角にお持ち帰りのコーナーを設けて、巻き寿司やいなり寿司などの販売をしていました。最盛期には26店舗ほどまでになりまして、利益も上げさせていただいたのですが、本来の 「 美味しくて安くて、そして楽しい 」 という理念とこのビジネスがかけ離れていってしまったのですね。それで整理をして売却をしました。

現・炉辺料理 梅田店- 多業態化の一つとして炉端焼き店を出された経緯をお教え下さい。

一つは、寿司発想からです。寿司も炉端焼きも基本的にオペレーションは、同じなんですよ。寿司屋はネタケースを挟んでお客様と職人が相対してサービスを行いますが、炉端焼き屋も陳列した食材を挟んでお客様と職人が相対してサービスをご提供するようにしました。違いといえば、寿司の場合は1人の職人がお相手できるお客様が5~6人ですが、炉端焼きの場合は1人で30人ほどのお客様のお相手ができるところです。炉端焼きを何故この様に合理的にできたかと申しますと、杓文字形の櫂を使うことによって、離れたお客様にも商品をご提供できるようにしたからです。これは、効率だけではなく、ある種のパフォーマンスにもなりますので、お客様にも喜んでいただけますし、店の活気も出るようになりました。

もう一つが、社会状況からです。当時は、高度成長期の真っ只中で、都市化現象が顕著でした。関西圏で言いますと大阪、京都、神戸などの都会に地方から人がどんどん入って来られていました。特に大阪にはサラリーマンの方が増えて来ましたので、美味しいお料理とお酒で、仕事の疲れを癒していただく場をご提供しようと考えました。赤提灯より炉端焼きの方が活気もあって、健康的な飲み方もできるのでその考えに合致しているとの思いから出しました。

マーケットにマッチしたこともあって、大変繁盛させていただきました。梅田店は、15坪で30席のこじんまりしたお店でしたが、月商1000万円~1500万円という驚異的な売上を上げていました。ちなみに私は、豊中市・庄内の炉端焼き2号店にいましたが、ここでも月商600万円は行っていた記憶があります。何しろこの業態は、平日でも2~3回転は当たり前、土日になると4~5回転もする画期的な店でした。



がんこフードサービス株式会社

がんこフードサービス株式会社

http://www.gankofood.co.jp/

大阪市淀川区

代表取締役社長 志賀茂 氏

1962年 小嶋淳司氏(現会長)、同志社大学経済学部卒後寿司店で修行
1963年 小嶋氏、大阪十三にて4坪半の寿司店個人創業
1969年 小嶋商事株式会社設立
1980年 がんこフードサービス株式会社に改称

志賀茂氏
志賀茂氏

志賀茂 氏
1946年 現京都府福知山市出身
1972年 同志社大学経済学部卒業 小嶋商事株式会社入社
1983年 取締役 営業部長 その後、常務取締役、専務取締役、副社長を歴任
2005年 代表取締役社長就任 現在に至る
関西経済同友会・幹事などの公職に就く

文: 齋藤栄紀
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