ただ儲かればいい、自分さえよければいいという前時代的な価値観ではなく、食と命のつながりを自然から学び、飲食店のあるべき姿を追求する独自の店舗展開を行っている株式会社自然回帰 。無農薬野菜などさまざまな自然の恵みをメニューに掲げる「活菜厨房 然」をはじめ、自分の理想とする店舗を繁盛店に育てている大西社長だが、その裏では「飲食の起業家がやりがちな失敗をすべて経験してきた」と自らの経歴を振り返る。その体験談を赤裸々に語っていただきながら、起業時のアドバイスや繁盛店へのヒントをうかがった。
私のバックグラウンドになっているのは、二人の偉大な祖父の存在です。まず、母方のじいちゃんは、大手地銀のトップで全国商工会議所のNo.2にもなりました。銀行マンではなく、いわゆる昔のバンカーでした。父方は、香川県の琴平電気鉄道という電鉄会社の創業者なのです。ここで、お断りしておきたいのは、家系を自慢しているわけではなく、祖父に全く追いつけていないという自戒の意味が強いですね。周りが全員社長や大株主という家系に生まれたがために、よく分からないまま 「 社長になりたい 」 と幼稚園の頃から思っていました。
そうは言いながらも、社会に対して納得感を持てない幼少期を送ってきまして、お約束通りに田舎町でかなりのやんちゃをしていました(笑)。中学までは優等生でしたが、高校の時は無茶苦茶でしたね。まったくもって勉強はしない、学校に行くのは夕方。子供の頃から続けていた剣道だけをしに学校に行くような生活でした。高校の先生からも 「 学校を辞めろ 」 と言われ、社会悪のレッテルを貼られていました。
それでいて大学を受験したわけですが、当たり前のように落ちますよね。浪人をしたときに、「 やっぱりレールに乗っていかないと、物事はまとまっていかないんだな 」 と痛感しました。卒業後は親の会社に入るつもりでしたが、自活していない自分というのが嫌で、学生時代はアルバイトに明け暮れました。結果的には、それが事業資金になったのですが、2000万円位のお金を貯めました。もちろん、むちゃくちゃなバイト生活でしたよ。貯金するために食事は3食ラーメン。学生時代だけで、たぶん5000食は食べていると思います。数あるバイトの中で流通に興味を持って、大学では関連したゼミに入り、資格を取得し、アルバイトで実務を経験しました。
就職活動は、将来的に自分の実家に帰るということも考えて、観光業を中心にいろいろな会社を受けました。内定を頂戴したなかから一番大きな会社として、西武グループを選びました。当時の国土計画に配属され、ホテルの購買部門やシステム部門、海外関係などを勉強させていただき、オーナーにも答申をするような機会もいただけました。会社勤めをしていうるうちに、実家が 「 琴電そごう 」 という大きな百貨店をつくったのですが、そごうの乱脈経営に巻き込まれ、最終的に倒産し、親父も病気になり命まで落としてしまったのです。経営は命がけなんだと思い知らされました。実家に戻る、会社に残る、独立するという3つの人生の選択肢があったのですが、そのひとつが消滅したことが大きな転機となりました。幸い手元にはバイトで貯めていたお金があるので、サラリーマン時代に勉強をさせていただいたことを活かして、自分で何かをやってみようと決意をしたのです。
起業するにあたって、自分の強みと弱みを棚卸ししてみたら、やはりホテル関連業が浮かんできました。ただ、いきなりホテルをオープンするには足りないものだらけで、海外も含めた市場調査の中で行きついたのが、飲食店経営でした。勤務していたホテルのレストランの業態の一つに、カウンターの中でシェフが直接接客して料理を出すお店がありました。そこの客単価は1万円と高額でしたが、支払ったお客様がすごく感動しながら 「 また来ます 」 と言っている姿をよく目にし、「 飲食業って、何て凄いんだ!! 」 と進むべき道を決めました。
私は単純ですから、「 1万円でこんなに喜ばれるのだったら、3000円で同じことをすれば3倍喜んでもらえるだろう 」 と思いました。3倍儲かるではなく、喜んでもらえるという発想でしたね。それで、1万円のフレンチを3000円にするには、まず仕組みがいるだろうと単純な脳みそで考えたわけです。ソースにとことんこだわれば、素材は普通のものでも差別化できるだろうと、今にして思うとずいぶんな “ まやかし ” をやろうとしていたわけですが、おかげさまで、1998年3月に 「 食通工房 然 四谷店 」 を出店することができました。
株式会社自然回帰
代表取締役社長 大西礼二氏
1965年香川県出身
西武グループにてホテル業務などに従事した後、1997年12月に株式会社アール・ティー・エヌを設立、翌3月に一号店となる「食通工房 然 四谷店」を開店。飲食店形態で展開する一方、「旬彩弁当 然」という持ち帰り弁当店をオープンするなど「然」ブランドの多業態展開も行っている。現在は、四谷から移転した「活菜工房 然 大手町店」のほか、「食通工房 然 汐留店」「大九州酒場どげんこげん(汐留)」「旬彩弁当 然 赤坂店」を運営。生産者との深いつながりを活かした産直の味が好評を博している。