刺身居酒屋のはしりといえる「魚真・下北沢店」を1983年に開店したのを皮切りに、都内8店舗に“魚”にこだわった姉妹店を展開する加世井氏。築地の荷受会社勤務、家業である魚屋経営と魚一筋の経歴を持つ加世井氏から、個性ある飲食店づくりのポイントや心構えをうかがってみました。
一号店の店づくりに関しては、すべてが手探りでしたね。起業のきっかけとなった経営者の教えは請うたし、大きな影響も受けていますが、そこはやはり自分で作っていきたかった。当初は、客が入らないというのが一番大きな問題で、女房にサクラをやらせて、カウンターに一人で飲ませたりもしましたよ…。ひとりふたりと客が増えていくと、いきなりママに変身するけどね(笑)。広告も打ったし、街頭でビラを配ったりと、一軒目はいろいろ力を入れてやりました。常連客が付きはじめて、軌道に乗ったのは、半年ほど経ってからですね。居酒屋として知ってもらうために、いろいろな料理を出すようにしていたら、ボチボチとよくなってきました。
実は、店の運営に関しては、一号店から店長に任せっきりなんです。僕は、今でもずっと魚屋が本職です。開店してから軌道に乗せたのは、店長を信頼してすべてを任せたのがよかったのかもしれない。若いスタッフに助けられたんです。言い換えると、僕が店を出すときに一番苦労したのが、誰に店をやらせるかという「人」の部分なんです。最初の店長は、本業の魚屋でアルバイトをしていた子で、真面目に一生懸命やってくれました。魚を納めていた居酒屋と料理屋で半年ずつ彼を修業させて、アルバイト2人を雇って下北沢の店をやらせたんです。あの頃は、僕が30才になったばかりで、店長やアルバイトは22~23才の頃。若い彼らが、自分の感覚で楽しめる店にしたからこそ、下北沢という街で受けたんじゃないかな。当時から学生街風で、彼らと同じような年代の学生が来てましたからね。客で来ていた若い子たちがアルバイトになったりもしましたね。そういう人のつながりは、現在でも続いてます。客からバイトになって、店の関係でビール会社に就職したのもいる。先日、20年ぶりに会ったら、開発部署の上の方にいましたね。
僕が店を出すときは、ベースを作ったという程度の感覚ですね。それからは、ここで働く人がいかに発展させていくかだと思っている。今年の10月頭に「魚真・乃木坂店」を開店して8店舗に増えましたが、どれもまだ成功に到達したとは思っていません。すべてが途中段階で、なにがしかの効果的な運営方法があるのではないかといつも考えるようにしています。それが飲食店には欠かせない姿勢だと思っています。
加世井 眞次
1949年東京生まれ。築地の仲買企業に魚を卸す荷受会社に就職、家業の魚屋を継いだ後、1983年に刺身居酒屋「魚真」を東京・世田谷に開店。魚一筋30余年の経歴から、魚に絶対的な自信を持つ姉妹店を都内に8店舗構えている。