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本場で学び、咀嚼し、自分の作るべき料理を考え抜く ~イタリア料理の巨匠 日高良実シェフ~

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第2回 食べることを楽しむイタリア文化を本場で学ぶ

第2回 食べることを楽しむイタリア文化を本場で学ぶ

本場で学び、咀嚼し、自分の作るべき料理を考え抜く イタリア料理の巨匠 日高良実シェフ東京に出てきて、「 リストランテ ハナダ 」 で本格的にイタリア料理の勉強を始めたわけですが、その頃にはイタリア料理の有名シェフも何人か出てきていました。“ 料理で自分を表現する ” というのが時流になっていて、写真を見るだけでも奇麗な料理だと分かるし、誰が作った料理かも分かるほどでした。自分もそんな料理を作りたい、料理人になりたいと心から思うようになっていました。

それからは、一生懸命を勉強しました。勉強をすればするほど、イタリア料理の奥深さがわかってきて、そうなると今度は本場のイタリア料理を知りたくなる。本場で吸収して、自分のイタリア料理を作りたいと思うようになってきたのです。それが高じて、“ 自分は本場に行かなくてはならない ” という使命感になって、居ても立ってもいられなくなりましたね(笑)。

広尾アクアヴィーノかといって、イタリアに行くにもコネがなかったので、思い切ってハナダのマダムに紹介していただこうとお願いしたのです。でもすんなりとは行かず、新しく出す六本木店で、「 シェフを 1年間勤め上げたら紹介してあげる 」 という条件が出されました。六本木店は、結構夜遅くまでやっているお店だったのですが、その1年間は死に物狂いで頑張り抜きました。夢や目的を持つと人間は頑張れるものなんです(笑)。そして、紹介していただいたのがフィレンツェにある 「 ENOTECA PINCHIORRI(エノテーカ・ピンキオーリ) 」 でした。

渡航するにあたっては支度金が必要です。航空運賃だけでも数十万円かかっていた時代ですが、幸運にも手持ち資金で500万円ほどあったのです。神戸時代は、実家から通勤していたのですが、親に毎月5万円を強制的に天引きされていました。「 調理師学校に行くと決めた時、調理師免許を取ったら学費を返すと言っていたからその天引きだ! 」 という理由です。最初の店では、手取りが9万円程度でしたから半分以上が上納金でしたよ(笑)。

本場で学び、咀嚼し、自分の作るべき料理を考え抜く イタリア料理の巨匠 日高良実シェフでも、慣れというのは怖いもので、東京に来てからも違和感なく天引されていました。結局、8年間で500万円くらい貯まっていました。イタリアに行くと決めたら、遣いなさいと親が出してくれたんです。自分で言うのも何ですが、結構堅いところがあって、帰国後にいろいろと入用になるだろうと全額は遣いませんでした。とりあえず原資として300万円で行くことにしました。

本場で学び、咀嚼し、自分の作るべき料理を考え抜く イタリア料理の巨匠 日高良実シェフENOTECA PINCHIORRIで修行を始めたわけですが、自分としては、” イタリアの料理をヒントに日本人シェフのイタリア料理を作りたい “ という思いがありましたので、見られるだけ料理を見てこようという考えを持っていました。特に、地方料理はバリエーションに富んでいるのですが、その地方に行かないと食べられないものが非常に多いんですね。ですから、料理の修業だけではなく、その地方に住んで、そこの料理を食べる、つまり自分の目と舌で料理をしっかりと覚えようと、北から南までさまざまな町に行きました。南イタリアでは、店名にもしましたが、ACQUA PAZZAという料理に出合うことができました。レストランでの修行も短期間でいいから、さまざまな店を学ぶ修行にしようと、結局3年間で14店舗を転々としました。

イタリアで一番影響を受けたのは、食事は楽しむもの、食べることを楽しむということです。我々が子供の頃というのは、食事中にべらべらとしゃべるな、食事は黙って食えと教育されてきたのですが、イタリアでは違います。食事中は会話を楽しむ、それもワーワーと盛り上がるように楽しんで食べているんです。“ こういうのは良いな ” と心底思いましたね。食べ方の楽しみ方ということをイタリアで感じてきました。



日高 良実

日高 良実

http://www.acquapazza.co.jp/ オーナーシェフ

1957年10月 神戸市出身。
調理師学校卒業後、神戸のフレンチレストラン「塩屋異人館倶楽部」に就職。
その後、神戸ポートピアホテル「アラン シャぺル」を経て、イタリア料理への転向を決意。
東京・銀座イタリアンレストラン「リストランテ ハナダ」に転職。
1986年 本場での修業のため渡伊し、3年間イタリアで修行をおこなう。
1989年 帰国後、「リストランテ山﨑」の料理長に就任。

1990年 東京・西麻布に「ACQUA PAZZA」オープン。現在は、全国12店舗のプロデュースも手がけながら、日本の食材を活かした独自のイタリアンを提案し続けている

文:齋藤栄紀
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