昨今ほど、「食の安心・安全」に対して数多くの報道がなされ、消費者が関心を持つような時代はなかったのではなかろうか。その様な社会環境において「食」を届ける企業の責任は重い。「食材」を外食産業に供給する業界側について考察することは重要であろう。
今回は、いち早く「食の安心・安全」を標榜し、更に「健康」「環境」と言った社会問題を見据えて活動を行っている株式会社トーホーの取り組みについて、同社代表取締役社長の上野裕一氏へのインタビューを交えてお届けする。
外食ディストリビューターとして名が知れているトーホーであるが、一般消費者向けの小売事業も行っている。その一つが食品スーパー事業である。この事業も歴史が古い。
トーホーのスーパーマーケット 「 トーホーストア 」 の1号店は、昭和35年(1960年)4月に熊本の水前寺に開店している。
日本で最初に 「 スーパーマーケット 」 という名称を使用した店舗は、昭和27年(1952年)に大阪の京橋に出店した 「 京阪スーパーマーケット 」 といわれているが、ダイエーの1号店が昭和32年(1957年)、イトーヨーカドーがレギュラーチェーンに着手したのが昭和36年(1961年)という事を考えると、トーホーはかなり早い時期からスーパーの事業に取り組んでいたといえよう。
- スーパーマーケット事業を始めた経緯をお教えください
【上野社長】 創業者の 2人が、スーパーマーケットの本場アメリカ合衆国と、コーヒー産出国の中南米を視察に行ったのです。その際に、セルフ方式の小売店舗に出会ったのです。これは面白いということで、全米各地のスーパーマーケットを視察して、日本に持ってこようと考えたようです。
それまでは、「 人のやらないことをやる 」 という経営思想でやってきたので、結構投機的なこともやっていたようなのです(笑)。丁度その頃に、地道に地元に貢献をして、その感謝料としてお金を頂く事業をしようと考えていたので、小売事業を始めることにしたようです。
水前寺店では、衣料品の他に肉、魚、野菜のいわゆる生鮮3品を取り扱っていた。当時のスーパーマーケット業界では、生鮮食品に関しては、テナントを入れて仕入から加工までの一切を任せなければいけないほど、生鮮食品の取扱は難しかった。他社に先駆け、生鮮食品の直営化を目指し、水前寺店でノウハウの習得に勤しんだ。
満を持してのトーホーストアの2号店は、昭和38年(1963年)4月に出店した地元神戸の垂水店であった。この当時、関西は既にスーパーマーケットの激戦地であった。競合既存店との差別化のために、水前寺店以降ノウハウを蓄えていた生鮮3品、全ての直営店化を断行した。これが功を奏し、その後の多店舗化に寄与する事になる。
トーホーストアの出店戦略の中に、トーホーの経営に対する姿勢が垣間見られる。
先の上野社長の談話の中にあった 「 地道に地元に貢献をして、その感謝料としてお金を頂く事業 」 を進めてきていることである。
出店戦略の一つが、「 大規模な駅前ではなく、小さい私鉄の駅前 」 や 「 商店街や市場の中の小型店 」 など地域密着型の店舗作りを推し進めていることである。
もう一つが、地元への出店である。つまり、本社のある兵庫県と福岡県に出店を集中させていることである。
兵庫県に42店舗、福岡県に4店舗の計46店舗(平成20年5月9日現在)と全て地元に出店している。
ここから、地元への貢献、地元との共存共栄を目指すという経営姿勢が見て取れる。
丁度、取材の日(2008年5月9日)に福岡県の太宰府にトーホーストアの新店が開店した。
【上野社長】 太宰府店も オープンを待ちわびたお客様で 行列ができているようなのです。このように地元の方に喜んでいただいて、地元の方に貢献できるというのは本当にいいことですよね。
と微笑みながら話をされていた姿が印象的であった。
次回は、業界の先駆けとなったキャッシュ&キャリー方式を採用した 「 A-プライス 」 の事業についてみて行きたい。