昨今ほど、「食の安心・安全」に対して数多くの報道がなされ、消費者が関心を持つような時代はなかったのではなかろうか。その様な社会環境において「食」を届ける企業の責任は重い。「食材」を外食産業に供給する業界側について考察することは重要であろう。
今回は、いち早く「食の安心・安全」を標榜し、更に「健康」「環境」と言った社会問題を見据えて活動を行っている株式会社トーホーの取り組みについて、同社代表取締役社長の上野裕一氏へのインタビューを交えてお届けする。
昭和29年(1954年)に福岡県で初めて、現在でも格調の高いホテルとして知られる、某ホテルが博多に開業した。この出会いが外食産業への食材卸を始めるチャンスとなった。前年に入社した若手の営業マンが張り付きコーヒーの取引を成功させた。しかしコーヒー以外の食材取引をなかなかすることができなかった。しかし、この青年はあきらめずに通い続けたという。この営業活動を通じて外国人接待用ホテルのドル枠の存在を知った。これは、運輸省(現国土交通省)が、来日する外国人を接待するための食品を対象に免税のドル枠が設けられていたのである。このため当ホテルは、東蜂産業よりも安い金額で輸入食材を仕入れることができていたのである。この青年の粘りの営業活動の結果、当ホテルからドル枠を分けてもらえるほど信頼を得、数年後には全ての食材を扱うようになった。
こうした取引がきっかけとなり、飲食店やホテル向けの品揃えを完璧にすることでノウハウを確立し外食産業へ本格的に参入していくことになった。
外食産業に業務用食料品を 「 常にお客様の立場になって 」 卸すには、仕入値をできるだけ安くする必要があった。 同社は、前述のように Nestlé の特約店になり、メーカーとの直接取引を開始していたが、もっと増やす必要があった。
ちょうどこの頃、業務拡大に乗り出した食品メーカー側も従来の特約店とは別に業務用食品専門の食品卸売業者に着目し始めていた。業務用の大袋の方が、家庭用の小袋に比べて効率が良かったからである。
両者の意向が重なったこの時期、同社は他の同業他社に先駆けてメーカーとの直接取引を増やした。それによりお客様である外食産業にも大きなメリットを享受することができたのである。
「 常にお客様の立場になって 」 を体現した出来事を紹介しよう。時は経って昭和55年(1980年)2月福岡にスパゲッティ専門店の “ クルル ” を開店したのである。
- 外食産業そのものに参入した経緯をお教えください
【上野社長】 メニュー提案やトレーニングのためのパイロットショップと言う位置付けです。食材を営業するには、単にその食材の知識だけではなく、その食材をどの様なメニューで使うのが良いのかをご提案する必要がありますからね。また、外食の方が新店を出すとなったらトレーニングが必要となりますね、そのトレーニングの場として使って頂いたり、メニュー開発のための場として使って頂いたりするために店を出したのです。決して自ら外食企業として参入しようとしたのではありません(笑)。
- 外食店舗を広げようと言う考えは無いのですか?
【上野社長】 それは、全く無いですね。やはり元々ディストリビューターであり、サプライヤーですから、そのお客様とバッティングするようなことはやるべきじゃないんです。でもお客様の立場を知らなくてはいけない。その上でメニュー提案などの提案活動をするために必要と考えるのです。
トーホーは、現在 「 カフェ・ド・神戸 旧居留地十五番館 」 というカフェレストランや食育をコンセプトとしたレストラン 「 育みの里かんでかんで 」 を運営している。 十五番館 の運営は阪神・淡路大震災の復興、かんでかんでの運営はトーホーが近年力を入れている食育・食農活動の一環である。これらは、トーホーがレストランの運営を地域社会への貢献活動としても考えている証といえよう。
次回以降では、トーホーの各事業について見て行きたいと思う。