国内の飲食マーケットが縮小する中、海外に活路を求めている飲食企業は少なくない。しかし、海外で店舗展開するのは国内での展開にはない課題が少なからず存在する。外食ドットビズでは、飲食店の海外進出に際しての課題と解決策を飲食業に関わる先人たちの経験から探り、情報として提供していきたいと考える。
今回は、海外飲食店の店舗ITを支える株式会社寺岡精工の代表取締役社長 寺岡和治氏にお話をお伺いした。
− 海外進出にあたって直面した課題は?
【 寺岡社長 】(以下、敬称略) 昔のことだからあまり覚えていませんが(笑)、シンガポールと英国ではそんなに大きな問題はなかった記憶があります。シンガポールは非常にスムースに進みましたね。大変だったのは中国です。ちょうど、鄧小平の改革開放路線や南方講話(※)の時代でしたから、まだまだ発展途上国というか、後進国だったのですね。地場産業もまだ育っていなくて、部品が無かった。買いたくても部品が買えない。
それに外貨が全くなかったと言っても過言ではありませんでした。外貨が無いですから、日本から部品を持って行くこともできない。我々はいくらでも買えるのですが、日本から送れないのです。当時は外貨帳というのをつけていました。中国でつくったものを日本に持ってくる、その際に得られる外貨を使って日本で部品を買って送る。そうするとつくれる量というものが決まってきますよね。その範囲内でしかビジネスができない。そんな時代が7、8年続きました。
− どのようにして状況を打破されたのですか?
【 寺岡 】 幸いなことに当社は台秤もやっていました。台秤というのは、300kgもの重量物を計るものです。ものすごく大きなステンレスのお皿が付いていて、その皿の中には鋳物のフレームが付いている。この鋳物がミソでした。日本で鋳物と言えば、昔は吉永小百合の「キューポラのある街」じゃないですけれど埼玉県の川口あたりでつくっていました。でも、時代とともに日本では鋳物づくりが嫌われてつくる人が少なくなっていました。仕方がないから特別に頼んでつくってもらうのですが、そうするとコストが高くなってしまうのです。対する中国はまだまだ鋳物産業が盛んで、質の良いものを安く入手できました。それを使った台秤を日本に持ってきたら、お客様にとても喜ばれました。外貨を稼ぐこともできて、中国でのビジネスが軌道に乗ったのです。
− 現在、中国からはどこの国に向けて輸出されているのですか
【 寺岡 】 全世界です。中国の国内向けと輸出がほぼ五分五分というところです。シンガポールや英国も同じですが、海外の拠点を単なる物づくりの拠点、生産拠点とは位置づけていませんでした。特に、中国はやがて巨大な国内市場が形成されるだろうとにらんでいました。ですから、輸出だけではなく中国の国内向けのビジネスにも期待をしていましたが、その通りになったと実感しています。
中国の人と一緒に仕事をするようになって、彼らのとてつもないパワーを感じます。そのような人たちがたくさんいる国ですから、マーケットが拡大していくに違いないと思いました。それに、工学系で優秀な人も多いですね。人口が多いから相対的に多いのかもしれませんが、優秀なだけではなく、強いハングリー精神を持っているのです。もっと腕を磨きたい、もっと力を付けたいという思いがとても強い。そういう面で、人材に恵まれ、中国拠点は大きくなっていいました。
(※)南方講話:1992年に当時の最高実力者・鄧小平が上海・深?など中国南部を視察した際に行った一連の講話。「資本主義の長所」の導入を呼び掛け、改革・開放路線を進展させるよう求めた。
株式会社寺岡精工
会社概要 1934年11月(昭和9年)に、「はかり」メーカーとして創業、一貫して先進技術を追求する姿勢で、計量機器から情報機器へとはかりを進化させ、業界のリーディングカンパニーとなる。80年代からはスーパーなど流通業界向けのPOS事業を展開、90年代には高度情報化時代に対応すべく、POSや計量包装機、電子棚札などすべての製品をインターネットでつなぐシステムを開発するなど画期的な製品を市場に投入してきた。近年になって外食産業に参入、ASP型フードサービス統合システム「Delious(デリオス)」やペン型オーダー端末など最新技術を駆使した商品やソリューションを提案している。
代表者 代表取締役社長 寺岡和治
経営理念 経営革新と新技術により、世界市場における新しい価値の創造を企業活動の基本理念とし、もって顧客、取引先、社員ともども真の繁栄を期する。
取材協力 ホスピタリティソリューション事業部 ソリューション営業部 次長 鹿野浩二氏