未曾有の地震と津波が東北・太平洋沿岸を襲った東日本大震災から4ヶ月が経とうとしている。甚大な被害を受けた被災地の多くの方々の生活はまだ平時に戻ったとはいえない現状である。そのような中、不撓不屈の精神で事業の継続のため一丸となって取組んできた企業も決して少なくはない。このような企業の取り組みは、今後の防災体制の確立とともに、震災の影響だけではなく、デフレなどの厳しい環境下に置かれている飲食企業経営者の参考になるであろう。そこでサッポロビールの協力のもと、同社仙台工場長の仲本滋哉氏にお話を伺った。
-ビール園さんでも地域貢献をされていたとお伺いしました。
そうですね。2日後の13日からつい最近まで、炊き出しをずっとやっていました。わりと大型のレストランでしたので、冷蔵庫や冷凍庫にかなり食材がありました。最初はご飯を炊いて、おかずをつけてこちらに避難されている皆さんにお出ししていました。それから名取市の災害対策本部や避難所の方に 「 日曜日にはどこ、月曜日にはどこ 」 といったローテーションを組んで、お昼ご飯として毎日500食お届けしました。延べ数量で50000食近くになると思います。
当然食材もそんなにありませんから、4日ほど経った時点で近隣の農家の方や商工会の方にお願いしてお米などをいただいたり、海辺に " ゆりあげ港朝市 " という朝市があったのですが、津波の影響で開けなくなったので倉庫にある海産物をいただいたりして炊き出しに使わせていただきました。
また、ビール園はサッポロライオンがやっているのですが、サッポロライオン本社からも食材が運び込まれてくるようになりました。ビーフシチューとか結構良いものが送られてきていましたね。
最初はビール園だけで始めた炊き出しが、地域の皆さんにご協力いただき、それからサッポロライオンが会社を上げて支援すると非常に素晴らしい連携でやっていただいたと思います。
-事業の維持・継続についてお聞きしたいと思います。
私どもにとっての事業の維持・継続とは端的に言うと工場のラインを復旧させて、震災前と同じレベルでの製造をするということです。それに向けては、1点目の人命尊重・安全第一と2点目の地域社会への貢献に配慮しながら、人海戦術によって一歩一歩進めていくだけでした。最初の地震の後もしばらくの間は大きな余震が続いたり、電気・ガス・水道などのインフラ系が使えなかったりと作業も思うように進みませんでした。そのような中で5月2日にパッケージング工程が再開できたのはビールタンクに損傷が無かったという幸運もありましたけれど、停電中も発電機を絶えず動かし続けた従業員の頑張りがあったからです。5月19日に仕込全工程が再開できたのも、厳しい状況下でも工場のメンバーのみならず、協力会社の方々の惜しみない努力と協力があったからだと思います。今まではビールをお出ししたくでもできずに、お客様方には大変ご迷惑をお掛けいたしましたが、これからは美味しいビールをお楽しみいただけるようになってまいります。
-最後に今回の震災で得た教訓をお聞かせ下さい。
やはり防災体制ですね。話だけだと全然問題なくスムーズに行ったように聞こえるかもしれませんが、実際には失敗もありましたし、試行錯誤の連続でした。色々と反省点がありますから、反省点をしっかりと活かして行きたいと考えております。
ただ、多くの皆様から 「 ここに避難させていただいてありがとうございました、本当に心強かったです 」 とか 「 あの時は炊き出しを食べさせていただいてありがとうございました。本当にほっとしました 」 などと多くの感謝の言葉をいただきました。そういう言葉をいただけるのは本当にありがたいですし、私どもも地域の皆様のお役に立ててよかったと感じた瞬間でもありました。
(取材日:2011年6月15日)