未曾有の地震と津波が東北・太平洋沿岸を襲った東日本大震災から4ヶ月が経とうとしている。甚大な被害を受けた被災地の多くの方々の生活はまだ平時に戻ったとはいえない現状である。そのような中、不撓不屈の精神で事業の継続のため一丸となって取組んできた企業も決して少なくはない。このような企業の取り組みは、今後の防災体制の確立とともに、震災の影響だけではなく、デフレなどの厳しい環境下に置かれている飲食企業経営者の参考になるであろう。そこでサッポロビールの協力のもと、同社仙台工場長の仲本滋哉氏にお話を伺った。
サッポロビール仙台工場は、仙台市の南、名取川を遡上する大津波が田畑を飲み込んで行くNHKニュースの映像が記憶に新しい名取市にある。
同工場は昭和46(1971)年5月の竣工で、今年はちょうど40周年を迎えた。現存するサッポログループの工場では最も歴史のある工場だ。缶商品と樽商品を中心に、同社の主力商品である 「 黒ラベル 」 「 ヱビス 」 「 麦とホップ 」 などを東北6県と新潟県向けに供給し、「 ヱビス <ザ・ブラック> 」 は全国に供給している。
-地震当時の状況についてお聞かせ下さい。
私は、(事務棟の)居室で執務をしておりました。地震は物凄く長く感じました。激しい横揺れがして、止まったかと思うとまた激しい横揺れが襲ってくるという状況で、断続的に5分程度続いた気がします。その間に棚が落ちたり、飾りのジョッキが飛んできて割れたりと危険でしたので、すぐに机の下に潜り込みました。ただこの机もかなり重いのですが、前の方にずれたりして結構大変な思いをしました。
-地震がおさまってから最初にとられた行動をお聞かせ下さい。
防災訓練の通り、揺れがおさまった段階でヘルメットを被って、所定の避難場所である工場内のグランドへ移動しました。この建物にいたメンバーも同じ行動を取りました。工場内にいた従業員は、まずはそれぞれの現場の一時避難所へ移動し、それからグランドへ移動して来ました。幸いにも従業員には怪我人はおりませんでしたが、工事会社の方がお一人足に怪我を負われたので、救護班を組織して、タンカでグランドまで搬送しました。ここまでは防災訓練通りうまく行きました。
-工場設備の被害はどの様な状況でしたか?
竣工から40年経っているにもかかわらず、建物自体は比較的しっかりしていますので、倒壊したり、傾いたりといったことはありませんでした。ただ、一部天井パネルが落ちてきたり、壁が崩れたり、設備が大きくずれるなどしていました。後から聞くと従業員は身を守りながら避難しなくてはならなかったそうです。それを考えると人命に関わる大きな怪我人が出なかったことは奇跡的だったと思います。設備の中には大きくずれたり、上から物が落ちてきたり、傾いたりしたものがあったのですが、不幸中の幸いにもビールタンクには被害がありませんでした。
-工場長として、復旧に向けて一番ご苦労された点をお教え下さい。
まず、従業員の安全を守ることが一番ですよね。地震後はなかなか本社と連絡が取れませんでしたが、取れた際に決めた方針があります。
この3点です。この優先順位に従って、あとは臨機応変にやることになりました。通信状況が悪かったので逐一報告と指示を受けながら進めることができませんでしたので、大きな権限を工場長に与えてもらうことになりました。
次回以降は、1.人命尊重・安全第一、2.地域社会への貢献、3.事業の維持・継続の3点について具体的な取り組みを見て行きたいと思う。