原油の高騰、食料の高騰そして人件費の高騰と外食産業を取り巻く経済環境は日々厳しさを増している。更に乳製品、菓子などの賞味期限切れ食品、牛肉、鶏肉、うなぎなどの生産地偽装食材などといった消費者の期待を裏切る不祥事が社会問題化するなど飲食業従事者に逆風は吹き止まない。
外食産業の活性化のため、外食ドットビズは関係者の方々の考えを中心に、この様な厳しい環境下で飲食業に携わる方々に少しでもお役に立つ情報を発信していく事を目的に『シリーズ 食の危機を乗越える』と題し、不定期に掲載していく。
本格的なナポリピッツァで有名なパルテノペ。2000年に開業した広尾店を皮切りに恵比寿、品川、横浜に4店舗を構える。
総料理長兼統括店長の渡辺陽一氏は、名門調理学校の辻学園日本調理師専門学校(現、辻学園調理・製菓専門学校)を卒業後、東京・麻布(当時)の老舗レストラン 「 アントニオ 」 で腕を磨く事になる。
その後、イタリアに渡り、偶発的なことから駐イタリア日本大使館の大使付け料理長に就任するなど、述べ10年間に渡ってイタリアでの生活を送ることになる。帰国後、“ マレキアーロ ” 、 “ サルヴァトーレ ” を経て、2000年8月にパルテノペ広尾店を立上げ現在に至る。
- まず、最初に、何故食の世界に入られたのかをお教えください。
調理師学校に入って和洋中は必須で学ばないといけないのですが、専攻科を選択することもできたのです。専攻科の中にイタリア料理があったのです。そのイタリア人の教授が格好良かったんですね。その先生に惹かれたのと 18歳のガキながらイタリア料理なら食い逸れることは無いんじゃないかという打算からイタリア料理の道を進む事にしたのです。
1年間調理師学校に通って、就職になるわけですが、当時の私達は、金の卵と言われていた時代で、完全に売り手市場だったんですね(笑)。ですから、イタリア人の教授に 「 日本全国で一番良い所を紹介してください 」 とお願いしたところ、紹介してくださったのが 「 アントニオ 」 だったのです。そこで3年間修行をさせていただきました。
でも、3年間もいると我慢できなくなってしまうんですよ、本物が見たくて(笑)。考えに考えた末、お世話になったアントニオを辞めてイタリアに行こうと決心したんです。辞めたのは良いんですけれど、イタリアに行くほどの蓄えは無かったんですね。今と違って、当時の飛行機代は結構高かったですから。結局半年間ほどアルバイトをする羽目になりました(笑)。そして、翌年、23歳の時に晴れてイタリアに渡ったのです。
- イタリアでの修行生活はいかがでしたか。
最初からハプニングの連続で (笑)。最初にバチカン大使付きの料理長になってしまったのです(笑)。イタリア料理を学びに行ったのに、その間は日本料理ばかり作っていました(笑)。でもそこでは料理人の原点とも言うべき、“ 食べる方を喜ばせる ” という気持ちを学べたのでとても良い経験をさせていただいたと思っています。何しろ毎日 “ お客様 ” とフェーストゥフェースで直接コメントをいただけましたので。ですから毎日が非常に充実していましたね。
その後、3年間イタリアで修行し、一時帰国していたのですが、また7年ほどいましたので、結局延べ10年間イタリアに住むことになりました。その間には高級店から日本でいう定食屋のような地元の人しか来ないようなレストランまで、あるいは給食工場やお菓子屋さんといったありとあらゆる業態のお店で修行を重ねました。そして 日本に戻るのなら今が最後のチャンスと思い、日本に戻ってくることになったのです。
- 日本ではどの様なレストランをやっていこうと考えられたのですか?
パルテノペがオープンしたのが 2000年の8月なのですが、その当時は私と同様にイタリアで学んで来たオーナーシェフの方が本格的なイタリア料理店を開き始めた時代でした。また街中にはスパゲッティハウスと呼ばれるようなパスタのお店もかなり広がっていました。その様な中で、業界に一石を投じたい、お客様に新しい提案をしたいと考えていまして、まだ日本ではマイナーだったナポリピッツァを中心とした店作りをしていこうと考え、パルテノペを作り出したのです。
ナポリピッツァというのは、生地の上にトマトソースとチーズを載せるだけ、しかも生地は小麦粉に塩と水とイーストしか入れたら駄目という非常にシンプルな食べ物なのですが、シンプルだからこそ素材、発酵、焼き方などで差別化ができると考えたのです。
- ピッツァがメニューの中心となると小麦粉やチーズとメイン食材の価格が高騰していますが、どの様な対策をされているのですか?
食材の価格高騰に対する策としては色々とあると思いますが、一番簡単なのはメニュー価格の値上げですよね。でも値上げをするのは一番最後の手段だと思っています。
最初に手がけるべきことは、使っている材料の量目、つまり分量をしっかりと見直すことです。例えば、パルテノペは、 4店舗ありますが、4店舗の職人が皆同じ手で、同じ一掴みかというと違いますよね。では実際に1人前には60g使っているのか、80g使っているのかということをしっかり見直す作業から始めます。さらに我々が持っている基準となる基本レシピの分量が妥当かどうか見直します。これらの作業を行うことでロスが無くなるようにしっかりと管理する。ロスを無くす事が一番最初に取組むべき事です。
次に手がけることは、クオリティ、つまり品質を変えないと言う制約の中で代替品を探す事です。安くて良いものが簡単に手に入らない世の中ですから非常に難しいのですが、メーカーさんや問屋さんの協力を得るなどして探すことが重要です。
3つ目にやることは、どうしても原価的に辛い物に関しては、分量を減らす事ができるかどうかを考えることです。例えば、1人前のピッツァに100g載っているチーズを90gにしたらどうなるか、などということをしっかり見直しましょうということです。
これらの全てをやった上で、最終的にどうしても合わない物があれば値上げをすることになると思います。ただ、値上げをするにあたって重要なことは、売れ筋商品はどんなに厳しくとも値上げをしないということです。例えば、ABC分析をして上位のものは、1円たりともさわらないということです。これはお客様重視の考えです。やはりお客様に支持されているもの、お客様が好きなもの、お客様がいつもお召し上がりになっているものは、そのままにすべきかと思います。
※渡辺シェフには、お忙しい中、長時間に渡ってインタビューにお付き合いいただきました。残念ながらスペースの関係上、イタリアでの裏話など多くの部分を割愛せざるを得ませんでした。非常に興味深いお話を数多くお伺い致しましたので、また別の機会にあらためてご紹介させていただきたいと考えております。
渡辺 陽一
ピッツェリア PARTENOPE(パルテノペ) 総料理長兼統括店長
1962年愛知県名古屋市出身。
高校卒業後、辻学園日本調理師専門学校 (現、辻学園調理・製菓専門学校)入学。
専門学校卒業後、イタリア料理の老舗「アントニオ」に入社。
3年間の勤務の後イタリアに渡り、3年間の修行後帰国。その後再びイタリアに渡り延べ10年間をイタリアで過ごす。
2000年東京・広尾にピッツェリア PARTENOPE(パルテノペ)をオープン。その後、恵比寿、品川、横浜にパルテノペをオープンし、現在は、4店舗の総料理長と統括店長を兼ねる。
文: 齋藤栄紀