「外食産業は突破口を見出せない迷路の中にある。」
1つの産業において5兆円規模の売上が消失する過程には、なにか要因があるはずである。外食産業に携わる諸人は、縮小化の真っ只中に身を置きながら、 ぼんやりした不安を抱え、同時に「今何が起きているのかを知りたい。」という強い衝動にかられているのではないだろうか。
そもそも外食産業の強みとは何なのか。この迷路を抜けるために何が必要なのか。
草創期・成長期の社会変化にも焦点を当てつつ、そのヒントを探りたい。
総じて外食企業の弱点は、“守りの体質”にあると言える
30数年前にそれまでの飲食業に対して潜在化していた顧客の不満は、飲食業のニューリーダー達によって解決の糸口が見つけられた。当然、そこにお客様は殺到する。先駆者達の苦労は計りしれないが、産業基盤がそれこそあっという間に築き上げられた。生活に一番密着している「食」の分野だからこそ、「新しい波」は急速的に全国に広がっていった。特に、初期段階で大成功を収めたFR(ファミリーレストラン)やFF(ファストフード)、低価格の居酒屋業態は、「店を開けばお客様は必ず来店する」という錯覚に陥ってしまった。顧客の確保にそれほど尽力しなくても、ピークタイムには店舗の前に行列ができたのである。店舗の出店ペースに対して、利用需要が圧倒的に大きかった。
店舗数の拡大は彼らの経営の根幹である。毎年一定数の新店を立ち上げるには、利益を確保し続けなくてならない。それには時に「乾いた雑巾を絞る」ような、ローコストオペレーション体質を築き上げなくてはならない。チェーンストア型経営を実践している大手外食企業達の経営努力、現場努力は一言では語り尽くせないほど「強い」ものがある。この経営体質と組織力の強さは、激戦区である外食産業の中で、「死活」をも決定してしまう。彼らは前述した通り、様々な経済状況の変化に対しても、しっかりと対応してさらにその勢力を拡大させてきた。
ただ、彼らの「価値の創造」は1990年代前半で完全にストップしてしまった。脱FR、脱FF顧客層に対しても、その見事な提案力で顧客の期待に答えていた新規業態も、外食新規参入組みに押される状況になった。店舗数3桁を超える企業は、外食マーケットの中で“コンセプト疲労”という、厄介な病にかかる。知名度が上がるにつれ、その商品やサービスのイメージが顧客の頭の中で勝手に作られてしまう。そうなると、企業側がいくら努力してもマーケットが反応しなくなってくる。数ある外食機会の場で、顧客の選択肢から完全に外されてしまう結果となる。
成長を続けるはずの外食マーケットに何かが起こっている
1998年、外食産業が誕生して以来、初めて外食市場規模が縮小した。この傾向は今も進行している。成長を続けることが大前提であったはずの外食マーケットに何かが起こっているのだ。
市場が拡大し続けている時の「敵」は、競合他社である。未開発の市場を如何に自分達の手中に収めるか? 新メニューの開発や業態開発について、他社に先んじた提案で顧客を引き寄せるか? 売上高や利益率等、開示される企業情報に対しても「敵」の動向は気になる。
一方、外食産業を形成する中核企業や新規参入企業も、業界トップグループは格好な標的であり、努力目標でもある。しかし、産業規模そのものが縮小化傾向になった時は、「新たな敵」が出現したと判断しなくてはならない。今まで「見えていた敵」を意識していた外食企業が、一転して「見えない敵」と立ち向かわなくてはならない時代に入ったということになる。ついこの前までは、外食企業間の戦いの場であったものが、外食産業そのものが「見えない敵」を迎え撃つ戦場と化した。
第一・第二世代とはまったく異なる戦いに外食産業自体が追い込まれた
1998年当時、外食企業各社の数値に微妙な変化が起きた。マスコミ報道でもあったように、各社の既存店売上高は相変わらず低迷基調にあったことに変わりはないが、新店がヒットしなくなり、かつ新規業態についてもマーケット反応が鈍くなってきていた。「何か調子が悪いな」というのが、素直な感想だったろう。
98年は日本中の注目を集めたイベントもあった。日本が初出場した「サッカー ワールドカップ フランス大会」の開催である。先日の王ジャパンの優勝で終了したWBCもそうであったが、大きなスポーツイベントがもたらす経済効果は、年々その影響が大きくなっている。フランスW杯は、その起点だったのではないか。ただ外食産業にとっては、これらのイベントはむしろ「逆経済効果」になってしまうケースが多い。街に人が出なくなる。外出機会も確実に減少する。当然、外食機会が奪われる結果となる。過去にもこの様な状況は幾度かあったが、ほとんどがその瞬間を乗り切れば、数値は確実に元に戻っていた。外食産業そのものの存在意義が明確にあったからだろう。しかし、フランスW杯あたりから、顧客の戻り方が異様なまでに遅くなり、その影響がずっと尾を引く形になってきた。その後のW杯やオリンピック等のイベントでも同じような現象になっている。
移行する食の外部化~外食から中食へ~
スポーツイベントは顕著な例の一つだが、2000年を境にして、消費者の生活スタイルと「食」の動機に様々な要素が加わってくる。「食の外部化」のデータでも明確なように、外部化比率は落ちることはない。外部化とは、家庭内調理以外を指す言葉で、「外食」と「中食(なかしょく)」がこれに含まれる。中食とは、持ち帰り弁当や惣菜など、そのまま食事として食べられる状態に調理されたもののこと。食の外部化が進む一方で、外食産業の市場規模が減少しているということは、食の機会が「中食」に移行していることの証明である。
確かに、デパ地下の食料品売り場の賑わいとお客様達の楽しそうな笑顔、CVS(コンビニエンスストア)の弁当・オニギリ、惣菜の充実さと商品開発力の強さ、街の持ち帰り弁当店の商品バリューの高さ、ニーズを吸収した宅配食品など、堅実かつ急速に変化を遂げている。今まで「時間が無いから」「めんどうくさいから」「お金が無いから」といった消極的な利用動機で成り立っていた中食業界に、外食マーケットが反応しはじめてきたのである。
次代のニーズを再確認し、築いてきた価値のブラッシュアップが急務
さらに、「少子高齢化」「核家族化」といった要因、携帯電話の普及やIT化などによって、仕事のスタイルや個々の生活スタイルが大きく変化をしている。この項の最初で述べた通り、外食産業が「原価低減」「人件費の削減」「店舗建設コストの低減」に奔走している間に、外食マーケットは大きく様変わりし、いつしか需要と供給のバランスが逆転されていた。「豊かで楽しい」場の提供をしてきたはずの外食産業が、その機能を失いつつあり、店舗のQ(商品の品質)S(サービス)C(清潔さきれいさ)のレベルを低下させている。「外食をする」といった様々な動機に、今、中食業界が果敢に攻め込んでいるといった構図になっている。
時代とともに成長し、場面場面で新たな価値を創造してきた外食産業の再活性化への近道は、中食の強みを研究し、そこにどう挑んでいくのか、時代を先導している消費者ニーズはどこにあるのかを確認し、自分達が築き上げてきたフォーマットの再点検とブラッシュアップが急務ということになるのだろう。
坂尻 高志
外資系コンピューター会社勤務後、すかいらーく入社。店長~事業部運営スタッフ~本部営業部門を担当した後、情報システム部で、店舗系システムの開発に着手。1995年情報システム部長。以降主にすかいらーく本部の業務システムの開発と、業務改善を実施。1999年独立。外食企業のIT化、経営政策の立案、業態開発、スタッフ教育等に従事。