「外食産業は突破口を見出せない迷路の中にある。」
1つの産業において5兆円規模の売上が消失する過程には、なにか要因があるはずである。外食産業に携わる諸人は、縮小化の真っ只中に身を置きながら、 ぼんやりした不安を抱え、同時に「今何が起きているのかを知りたい。」という強い衝動にかられているのではないだろうか。
そもそも外食産業の強みとは何なのか。この迷路を抜けるために何が必要なのか。
草創期・成長期の社会変化にも焦点を当てつつ、そのヒントを探りたい。
外食産業は突破口を見出せない「迷路」の中にある
1990年代後半には30兆円の規模を目前にしながら、それ以降、毎年数千億円単位で市場規模が縮小されている。ひとつの産業が、その伸びを止めてしまう原因はひとことでいえば、「マーケットニーズとの微妙なズレ」にある。過去30年以上に渡り、我々の食シーンの中で様々な「感動」と「豊かさ」を演出してきた外食産業が、今その本来の機能を失いつつある。ライフスタイルの変化とともに、「より豊かで楽しい生活」を求めるマーケットニーズに対し、外食企業は常に新しい食のシーンを「感動」とともに提供してきた。「ニーズ」に対応するだけでは「感動」はない。「ニーズ」を超えたところに「感動」が生れる。その意味では外食産業は典型的な提案型ビジネスともいえる。規模の縮小化傾向が揺ぎない事実であるなら、外食企業の提案力が弱まっているのか、我々の食シーンに何が起きているのか。
この両面からのアプローチによって、外食産業低迷の要因を探ってみたい。
今、外食産業は「第三世代」に突入したといわれている。
政策の転換期で区分けすれば、第一世代は1970年~1990年前後になるだろう。
1970年、総入場者数6500万人を成し遂げた「大阪万博」。“人類の進歩と調和”をテーマに大成功を収めたこのビッグイベントは、日本の新しい文化の創造に大きく貢献した。外食産業も実はここで産声をあげている。アメリカの「ハワード・ジョンソン」と提携したステーキハウス、明るいカフェテリア、サンダースおじさんでお馴染みのKFC。アメリカ館を訪れた人々はそこに今までとは全く異なるレストランを体験して、新しい息吹を感じた。このアメリカ館のレストラン部門の運営を担当したのがロイヤルである。この成功は日本のレストラン経営者にとって大きな感動と勇気を与えた。
飲食業の資本自由化政策を背景に、1970年にはミスタードーナツ、翌年71年マクドナルドが日本上陸を果たしている。近代的なアメリカの香りがするニューフォーマットの飲食業によって、日本の飲食の世界が様変わりした瞬間でもある。
この年にはもうひとつの大きな波があった。東京郊外の国立市に1号店をオープンさせた「すかいらーく」の誕生である。住宅街の近くに店舗を持ち、大きな駐車場があり、手頃な値段の料理を、行き届いたサービスで、きれいな店舗で食事を提供するという、今では当たり前のスタイルではあるが、当時は革命的でもあった。従来型の飲食店にあった潜在的な不満が一挙に解決された。
71年上陸のマクドナルドも別の形で大成功を成し遂げた。銀座四丁目の一等地に日本1号店をオープンさせ、完璧にシステム化され、品質にブレのない商品が素早く提供された。店内に入り切れない人々は、おりしも休日に実施されていた「銀座歩行者天国」にハンバーガー片手に溢れ出てきた。この様子はマスコミでも大々的にとりあげられ、新しい飲食業というよりも、「新しいファッション」として取り上げられた。
FF(ファストフード)とFR(ファミリーレストラン)の両雄が日本のフードマーケットに新たなフォーマット開拓者としての役割を果たした。
近代的なアメリカの香りがするニューフォーマットの飲食業によって、日本の飲食の世界が様変わりした瞬間でもある
ニューフォーマットは、また新たなマーケットを創造する。すかいらーくやマクドナルドの大成功は、決してマーケットニーズの分析から生れたものではない。従来のフォーマットに対する欲求不満を、過去にない形で提案した結果、そこに新しい文化が創造されたのである。これはビッグヒットの基本的要因でもある。その後、彼らの経営の主軸である「チェーンストア理論」によって、驚異的な発展を遂げる。同時に、FFでは「モスフードサービス」「ロッテリア」「KFC」等、FRでは「すかいらーく」を含め、御三家と呼ばれた「デニーズ」「ロイヤル(現ロイヤルホスト)」等、居酒屋は「養老乃瀧」「村さ来」「天狗」「大庄」等による各社の積極的なチェーン展開で、日本人の食シーンがより豊かに変革を遂げていった。
豊かさは「選択肢が広がる事」と言い換えることが出来る。一定の予算内での食の選択や、行動範囲の中での店舗の選択の広がりが、各外食企業の店舗展開によって、確実に国民の食生活の豊かさを実現させる事になった。
1970年(この年は「外食元年」とも呼ばれている)を出発点とし、「外食第一次世代」は、店舗拡大と外食産業発展の時代であった。チェーンストア理論と言うのは、「国民の生活の豊かさを目的とした店舗拡大の理論」である。画一化されたサービススタイルや、同じ形態の店舗造りを実践させる理論ではない。食材の調達からお客様への商品提供までを自社で設計し、お値打ち価格を創造し、さらに楽しい空間を演出することで、お客様へ豊かさを提供できる仕組み作りである。そのために、明確な本部機能と店舗での役割があり、さらに責任分担を明確にすることで目的を達成させるシステムである。
外食企業創業経営者に「国民の生活を豊かに・・」という確固たる経営目標があったからこそ、外食産業が飛躍的な発展を遂げたといえる。
豊かさは「選択肢が広がる事」と言い換えることが出来る
しかし、その発展・拡大の波に大きな障壁が立ち塞がった。1990年前後の「バブル崩壊」である。
過去もオイルショックなど、それまでの経済成長に暗雲をもたらした時期もあったが、外食産業各社はそれに打ち勝ってきた。むしろ経済不況下では、「お値ごろ感」の訴求により、外食産業は、国民の胃袋としての価値を更に高めていく結果となった。
1987年10月のブラックマンデーによるドル暴落防止のため、日本は低金利政策を維持する必要に迫られた。これが起因となり、1990年「バブル崩壊」が起こった。当時、この障壁の向う側にある「長期にわたる構造的経済不況」は見えていない。しかし実態として、売上が急落していった。外食産業市場規模そのものは、拡大路線を維持されていたが、各社既存店の売上・客数は激しく落ち込む事となる。政策の転換が迫られて、外食産業は次の「第二世代」に突入していく。
坂尻 高志
外資系コンピューター会社勤務後、すかいらーく入社。店長~事業部運営スタッフ~本部営業部門を担当した後、情報システム部で、店舗系システムの開発に着手。1995年情報システム部長。以降主にすかいらーく本部の業務システムの開発と、業務改善を実施。1999年独立。外食企業のIT化、経営政策の立案、業態開発、スタッフ教育等に従事。