アメリカの外食文化は、1946年~64年に誕生した想定人口7800万人ものベビーブーマーによって支えられてきた。幼年期にFF(ファストフード)やCS(コーヒーショップ:日本のファミリーレストラン)に慣れ親しみ、家庭を持つと、カジュアルレストランへと外食の楽しみ方が向かっていく。
アメリカの外食産業は、彼らを明確なターゲットとして成長を遂げてきたが、1980年代後半から1990年にかけて、ベビーブーマー外食マーケットに疲労感が漂い始めた。「飽き」がきたのである。彼らの楽しみ方がより洗練され、選択の目が厳しくなるにつれて、外食マーケットに陰りが出始めた。そんな状況の中で、HMR(ホーム・ミール・リプレイスメント:家庭の食事の代行)というフォーマットが生れた。
外食に飽きたが、だからといってスーパーマーケットの片隅に位置している惣菜やパンを買って食べるのは忍びない…といった状況を打ち破ったのがボストンマーケットである。
1993年、お洒落な店舗を構え、お客様の前でチキンの丸焼きを調理し、注文によって切り分けるといった臨場感溢れるスタイルがアメリカ人の心を捉えた。HMRという言葉はボストンマーケットが、自らの売り方を称して使った単語である。日本では一般的に惣菜を指す「中食」の意味で使われているが、当時のアメリカでは、外食の新業態的な位置付けであった。
ボストンマーケットの大成功によって、黙っていなかったのが食品スーパー業界である。
それまで脇役に過ぎなかった惣菜コーナーに主役の座を与えた。食品スーパー業界のこの戦略を、HMRに対抗してMS(ミール・ソリューション:食事の問題解決)と呼ぶ。HMRもMSも「中食」だが、起点は異なる。ボストンマーケットが創り上げ、スーパーがさらに自分達の強みを活かした戦略によって、あらゆる食シーンでアメリカ食文化の中に「中食」が定着し始めた。このフォーマットをさらに磨き上げたのが、イーチーズである。
1996年、テキサス州ダラスにイーチーズは生れた。レストランコンセプト作りの天才シェフで、イタリア人のフィル・ロマーノ氏によって創られたこのフォーマットは、“感動”を創出した。店内に入った瞬間、お客様は大規模なキッチンの中に迷い込んだ錯覚を覚える。生地から手作りされる香り高いパンの製造過程が分かり、目の前でプロの調理人によって様々な料理が生み出され、自分の好みでそれらを買うことができる。決して出来合いの冷凍や缶詰等の既成食材で調理されていないことが目の前で実証されているのである。同種のフォーマットは急速にアメリカ国内へと広まり、時間はないが家族とのコミュニケーションを大切にしたい、そして、少しでも質の良いものを味わいたい、といった顧客を中心に「中食」文化が根付いてきた。その反面、HMRを提案したボストンマーケットは1998年会社更生法の適用を受け、翌年マクドナルドに買収されてしまうなど、外食文化への影響は大きかった。
このあたりの外食事情は今の日本の状況と酷似している。アメリカ人の食文化に多大な貢献をしてきた外食産業が、その役割を果たしきれなくなっていた。さらに、アメリカの外食の中心であったFFに対して、「健康に悪い」「肥満の原因」「成人病のもと」「ジャンクフード」といった非難が集中してくる。この非難は、ベビーブーマー達から発せられたものである。
しかし、2000年を目前とした時代、低迷を続けていたアメリカ外食産業に、現状打破のひとつのきっかけが生れる。大手FF企業から「次の一手」として、 “ファストカジュアル”が提案されるのである。
坂尻 高志
外資系コンピューター会社勤務後、すかいらーく入社。店長~事業部運営スタッフ~本部営業部門を担当した後、情報システム部で、店舗系システムの開発に着手。1995年情報システム部長。以降主にすかいらーく本部の業務システムの開発と、業務改善を実施。1999年独立。外食企業のIT化、経営政策の立案、業態開発、スタッフ教育等に従事。