外食産業、ホテル、フードビジネスなど、「食」関連に特化した広告代理店の株式会社F&Rセールスプロモート。代表取締役社長の藤井俊之氏は、昭和40年(1965年)に創刊された「週刊ホテルレストラン HOTERES」の創刊メンバーである。以来40年以上の長きに渡って外食産業を見続けてきた”歴史の証人”ともいえる藤井社長の協力のもと、外食産業の歴史を深掘りして行きたいと思う。
なお、藤井社長には別の機会にあらためて、外食企業に対するセールス・プロモーションについてご登場いただく予定である。
ホテレス創刊時は、まだまだ、チェーンレストランの体裁を整えた企業も無く、各企業のオーナーの方々も試行錯誤を重ねていた時代でした。
今や、外食産業の雄といわれている 「 すかいらーく 」 も、当時は、「 ことぶき食品 」 という地場のスーパーマーケットでした。当時、スーパーマーケット業界は、イトーヨーカ堂、ダイエー、みどりや、西友など、大手企業がチェーン店舗化を進めている真っ最中で、渥美俊一さんからも、「 このままスーパーをやっていても大変だぞ 」 と発破をかけられていましたよ。
「 それじゃ、何をやったら良いか 」 ということで、渥美さんからの助言や、ホテレスを購読していただいて、「 飲食業が良いのではないか 」 と言うことになったみたいですよ。「 それじゃ、どうやって飲食業をやっていくか 」 ということで、「 ちょうど米国ではファミリーレストランが流行している 」、「 ホテレスでは米国視察を行うようだ 」 と言うことで、参加していただいたようです。
確か、ご兄弟の3人で参加していただいた記憶があります。それだけ、飲食業参入に力を入れたれていたと言うことなのでしょうね。
結局、この 『 第一回海外セミナー「米国西部とハワイ」 』 には、すかいらーくの他、ロイヤル、東天紅、ホテル業界ではホテルオークラ、ホテルニューオータニ、プリンスホテルの経営者と言った、その後の外食産業の発展を担った人材の参加と言った、100名規模の大視察団を結成することになったのです。
実はですね。今はもう時効だから言っても良いと思いますが、この視察は、第二回だったのです。本当の第一回目は、恥ずかしくて言えなかったことだから、催行したことにしなかったのです。
本当の第一回目の視察は、ホテレスの創刊間もない頃に実施したのですが、まず第一点目に人が集まらなかった。確か13人くらいしか集まらなかった記憶がありますね。当然これだけの人数では赤字ですよ。だから中止にしようかと言う声も当然あったのです。けれど、ホテレス誌上で大々的に宣伝してしまっているわけですよ。これでやめたらみっともないと言うことになって、泣く泣く実施することにしたのです。
次に、浜松の聴涛館とかグランドホテルとか柳橋の料亭の女将姉弟などの方々が参加してくれたのですが、みんな観光気分なのですよ。1ドル360円の時代で、外貨の持ち出しが500ドルと決められていた時代だから、なかなか海外なんか行けないわけですよ。だから、視察と言うより観光旅行になってしまったのですね。これじゃ、対外的に恥ずかしいと言うことで、この回は実施しなかったことにしたのです。
でもね、米国側の反響がすごかったんですよ。マクドナルドの本部やホリデインなんかに行くと、「 歓迎 」 ののぼりみたいのまで出ちゃって、向こうの会社の幹部が出迎えてくれたり、新聞にまで 「 日本から外食企業の視察団 」 みたいな記事が出たり。米国の企業側では日本に市場に興味をもっていたわけだから、もしかしたら今回の視察団の中に良いアライアンス先があるのではなどという考えがあったようなのですよ。でもこっちは観光気分(笑)。「 観光に来たのに何でこんな仰々しい対応なの? 」 なんていう人までいて(笑)。
だけど、人間って面白いですよ。その様なことが続くとだんだん 「 自分は日本を代表して来てるんだ 」 なんていう雰囲気になっちゃって。最後には観光気分も吹っ飛んじゃっていましたね。
ホテレスの創刊までも歴史がありますね。社主の太田土之助氏は、もともと帝国ホテルに勤めていたのですよ。太平洋戦争で徴兵されて南方の戦地に赴任することになった。シンガポールで捕虜の経験をするなど、苦労して帰国してきたのが、昭和22年。ご承知の方もいると思いますが、当時、帝国ホテルは、GHQに占領されていたのです。そこに軍人経験者だったので戻ることができなかった。
最初に始めたのが、「 ザ・サービス 」 という昔の仲間内向けの雑誌を作ったのですが、これが儲からなかった。その後GHQ向けのバンドとかを経て、「 This week Tokyo 」 と言う米国軍人やその家族向けのいわゆるガイド雑誌を始めたのです。これが良く売れた。GHQがまとめて買ってくれたり、広告を掲載している店も外貨を扱える店だからお金があるわけですよ。だから儲かるのも当たり前。
その資金を元手に、やはり昔の仲間達に何かしたいということで、ホテルや飲食業の経営者向けに 「 ホテレス 」 といういわゆる経営者読本を創刊したのです。
だけど、これが売れなかった。今までも雑誌を作って来たけれど、書店で売ると言う経験が無かったわけですよ。だから書店での売り方がわからない。一生懸命通って、置いてもらえたと思ったら洋書のコーナーに置かれてしまったのです。何故かというと題名が英語で 「 Hotel & Restaurant 」 だったからです(笑)。それから、副題で 「 ホテレス 」 と日本語表記を入れるようになったのです。
だから、私も昼間は雑誌の広告取りの営業をして、夜は9時過ぎから1時くらいまで、ホテレスの見本誌を片手にお店に売りに行ったもんですよ。年間購読料4,000円ですって言いながら。でもこれで結構買ってくれるところがあるんですよ。ただ辛いのは、「 話を聞くから、12時過ぎに来てくれ 」 って言われるんですよ。店が終わってからではないと話が出来ないからね。毎日のように12時過ぎから十何軒も回るのは辛かったですね。
藤井 俊之
アパレル企業を経て、昭和40年(株)オータパブリケーションで、週刊ホテルレストラン(現)の創刊に携わる。その後、広告代理店の専務取締役を経て、昭和47年F&Rセールスプロモートを設立し、代表取締役就任。
現在は、社業の他、地元葛飾区で各種団体役員を務め、地域の活性化に力を入れる。
株式会社F&Rセールスプロモート
外食産業、ホテル、フードビジネスなど、「食」関連に特化した広告代理店。
「食」全般に渡り、お客様の効率的かつ効果的な販売促進をトータルにサポートしている。
文: 斉藤栄紀