外食ドットビズは、2006年にサイトオープンして以来、4月16日に2周年を迎えることができました。その記念と致しまして、いつもの特集とは趣向を変えて、サイトメンバーによる座談会をお伝えしたいと思います。設立時からのテーマである“よみがえれ!外食産業”の一環として、外食ドットビズがこの業界に果すべき役割について、突き詰めていきたいと思います。
【斎藤】 次に、各人が外食産業にどう関わり、このサイトに参加することになったのかを話していただきたいと思います。まず、サイトを立ち上げることになった酒美さん、坂尻さん、福本さんに語っていただきます。
【酒美】 外食産業向けシステム大手のセイコーインスツルメンツに25年勤務し、そこでオーダリングシステムを立ち上げました。そして、2003年12月に新しいソリューションを追求しようとフォアサイトを設立して、コンサルティング業を行っています。以前から、外食産業にとっての情報提供が少なすぎると思っていたのが、このサイト開設のきっかけになっています。ネットを使って、皆さんの発言の場を作り、情報交換をしてもらいたい。まだまだできてないかもしれませんが、自分たちのビジネスの広告サイトではなく、純粋に情報の場にしたいと思っています。
【斎藤】 現在は、どういう形で外食ドットビズに関わられているのでしょう?
【酒美】 どういう形? …経済的支援です(笑)。
【坂尻】 私は、学校を卒業後にコンピュータの仕事をやっていたのですが、3~4年目の頃に自然食の店をやろうと仲間と盛り上がったんです。当時は、公害問題など日本全体が汚くなっていて自然回帰という風潮がありました。だから、子供が口に入れてもいいような安全なおもちゃや自然食品などを売りながら、レストランもやろうという計画を立てました。さあ始めようという段階になって、誰一人として経験もノウハウがないことに気付いて、 “ じゃあ、俺が行ってくる ” といって 「 すかいらーく 」 に入ったのです。人気レストランとしてマスコミにも登場しはじめた頃で、1年でノウハウを身に付けて辞めるつもりが、どういうわけだか23年も経ってしまったわけです。
【斎藤】 なぜ、そこまで長くなったのですか?
【坂尻】 忙しくて、立ち止まれなかった。友達の約束をほごにしても動きを止めることができなかったんです。次から次へと課題は与えられるわ、店は どんどん できるわ、という感じですから。 でもこのビジネスの奥深さは実感していました。
【斎藤】 では、辞められた理由は?
【坂尻】 気が付いたら、50歳台が目の前にあって、後10年間は外食産業全体に関わり合う仕事をしようと、ふと思ってしまったんですね。行き着く先がレールに引かれているのが嫌だった。ある日の朝、思いついたように辞めましたよ。辞める少し前に 日本フードサービス協会 に関わり合った時があって、皆さんがいろいろと悩みをぶつけ合っていた。この事が背中を押したわけです。そして、独立後は、いろいろな仕事に関わるようになり、業界に関する情報を探そうとしたら、全然見当たらなかった。外食関連のサイトというと、店の紹介やグルメサイトばかりで、ビジネスにつながる役立ちそうなサイトがない状況でした。無いんだったら、自分で企画を作り、運営してくれる会社を探そうと思ったのです。実際に何社か当たったのですが、具体的に作ろうとするとノウハウの面で二の足を踏む。それならば、自分も深く入ってやってみようかなと思ったわけです。
【斎藤】 そこで、制作会社が福本さんのところになったわけですね。
【福本】 以前から坂尻さんと面識があり、興味もあったのでやってみようかと思いました。ただの委託事業ではなく、企画から携わって、自分たちで考えて作るという面でとても興味を引かれました。
【斎藤】 その会社に勤務する永江さんはどういうきっかけで関わることになったのですか?
【永江】 毎週、編集会議をしてあれこれコンテンツを考えていて、運営がすごく大変そうだなと思って手伝ってみようかなという感じです。サイトの価値というのは、やはりアクセス数であり中身なので、それに何か助力ができないかなと 「 食のコミュニティーサイト 」 を企画したのです。僕の思いとしては、外食ドットビズの本体は編集部からの発信の場で、目標は外食産業を盛り上げること。それとは別に、一般の方や店舗運営者の方が自由に話し合うことで盛り上げることが出きる場にしようと提案をしたのです。
【斎藤】 前城さんは、外食産業とはどのように関わってきたのですか?
【前城】 ある飲食店のマネージャーから福本の会社に移ったわけですが、その飲食店では、ここに書けないような事態が起こりまして(笑)。簡単に言えば、会社が倒産しそうになり、給料も出なかったので、従業員の給料を私がサラ金から借りて払っていました。そういう状況の時に、近くの店舗から、従業員教育の手伝いを頼まれまして…。そうしたら、店長と私が横領をしていると本社から疑いを掛けられたんです。部下にレジをやらせていたら、いつのまにか私たちが横領したように仕組まれていた。横領どころか、こっちはサラ金から借りてまで補填しているんですから、辞めてやろうと思ったのです。
【貝田】 借り入れは総額でいくらになったんですか?
【前城】 最大で50万円程度ですね。2~3ヶ月遅れで給料が出ていたので、その間を回していくという状況です。会社からは、横領分として一人20数万円を返せといわれたので、金を払って辞めなきゃいけなくなりました。何だかんだ言っても会社に愛着があったので、ここで嫌疑を晴らしたら、さらに務め続けることになりかねないと思ったので、金を払って腹を立てたまま辞めようと決意したわけです。こんな話は書けないですよね。
【坂尻】 大丈夫、書けるよ。これだけで特集記事になるよ。こういう話は、外食業界には多いんですよ。横領嫌疑というのは珍しいですが。
【前城】 自分が雇った従業員が、「 明日、家賃を払わないと困るんです 」 と言ってきたら、借りますよね。
【坂尻】 自分が現場に居たときも似た様な事がありました。 飲食店というのは、そういう場なんですよね。本来は、そこから脱却しなければいけないのだろうけど、従業員に苦労させて、頑張ってもらっているのが分っているから店長としては工面してやりますよ。 誤解しないでほしいのですが、決して進めている訳ではありません。ただ、お客様の喜ぶ顔を見たさに、全員できつい仕事をやっていく訳ですから、連帯感みたいなものが自然と創られますね。
【斎藤】 コンピュータ関係に移ったのはどういう経緯ですか?
【前城】 飲食店を夜までやって、その後、コンピュータのアルバイトをやっていたんです。
【坂尻】 店長をやりながらだと大変でしょう。
【前城】 そうしないと借金を返せなかったんです。午後1時から店長会議に出て、3時から0時までお店、深夜1時から朝5時までパソコンに向かうという感じです。
【斎藤】 外食ドットビズでは、今はどういう役割をしているのでしょう。
【前城】 コンテンツの制作を担当しております。そういう過去がありますから、取材でいろいろな方々のお話を伺うと、思わず力が入ってしまいます。取材した方の魅力や人間性みたいなものがページを見て下さる方々に伝わればと思って四苦八苦しています。時々 「 やり過ぎでは… 」 「 本当に必要か? 」 と思うデザインもありますが、外食産業に対する私の想いだと感じていただければ幸いです。
参加者(外食ドットビズ編集部)
前列(右より) 外食ドットビズ編集長・斎藤栄紀(40代中盤)/外食ドットビズ運営会社社長・酒美保夫(50代中盤)/論説主幹・坂尻高志(50代後半)
後列(右より) カメラマン・豊崎淳(30代前半)/ライター・貝田知明(30代中盤)/システム作成兼特派員・福本龍太郎(30代中盤)/デザイン担当・前城幸代(30代中盤)/「食のコミュニティサイト」担当・永江慶太(30代中盤)
文: 貝田知明 写真:トヨサキジュン