フランス料理の一流シェフたちも認める現代型厨房施設 日本エスコフィエ協会の取り組み ~電化厨房が変える作業環境

フランス料理の一流シェフたちも認める現代型厨房施設 日本エスコフィエ協会の取り組み 電化厨房が変える作業環境

現代フランス料理の祖、オーギュスト・エスコフィエ。彼の功績は料理の創作だけではなく、調理法の合理化、料理場の革新的な設計や衛生管理、料理人の労働環境改善と地位向上に尽くしたことなども挙げられる。
日本エスコフィエ協会も彼の遺志を継ぎ様々な取り組みを行っている。その中で一早く電化厨房の施設を取り入れその普及に取り組んでいる。今回は日本エスコフィエ協会の向佐勝シェフと伊藤彰彦事務局次長に話を伺った。

第1回 現代フランス料理界の祖、オーギュスト・エスコフィエ

第1回 現代フランス料理界の祖、オーギュスト・エスコフィエ

フランス料理の一流シェフたちも認める現代型厨房施設 日本エスコフィエ協会の取り組み 電化厨房が変える作業環境日本では江戸時代末期の1846年にニース郊外の小村、ヴィルヌーヴ・ルーベで生を受けたエスコフィエは、13歳で料理の世界に足を踏み入れた。そして、普仏戦争、ナポレオン3世によるフランス第二帝政の誕生と崩壊、第一次世界大戦といった19世紀から20世紀前半の激動のヨーロッパにおいて、フランス料理を食文化の最上位として不動の地位に導いた情熱と叡智の人であった。

フランス料理の一流シェフたちも認める現代型厨房施設 日本エスコフィエ協会の取り組み 電化厨房が変える作業環境【 向佐シェフ 】 もともとフランス料理と言うのは、一握りの王侯貴族のための料理だったのです。原価に糸目をつけないとか、何日も前から仕込んで時間を無制限にかけるだとか、贅沢三昧ができる人のための料理だったのです。その様な料理をエスコフィエは一般の人が利用するホテルやレストランでも食べられるようにしようと考え心血を注いだのです。

そのためには、庶民が食べることのできる金額で作れる料理はもちろんのこと、お客様が見えてから料理をする、つまり注文を聞いてから料理を極力早く提供できるように、厨房の設備・レイアウトから調理人たちの仕事の分担方法と組織化といった今では当たり前のことを確立して行きました。

セザール・リッツと出合ったエスコフィエは彼と協力関係を結ぶことになり、パリの 「 ホテル・リッツ 」 ロンドンの 「 ホテル・カールトン 」 などと立て続けにホテルを開業し、料理長として多くの食通に熱烈に支持されたのみならず、それまでは一度に全ての料理を供するサービスが主流であったフランス料理に、レストランで初めてコースメニューを導入するなど新機軸を打ち出していった。

フランス料理の一流シェフたちも認める現代型厨房施設 日本エスコフィエ協会の取り組み 電化厨房が変える作業環境また、このころ女性の社会進出が広まり、外食文化が生まれて行くことになるが、エスコフィエの料理は女優のサラ・ベルナール、女流作家のジョルジュ・サンド、歌手のネリー・メルバをはじめとした多くの女性たちにも愛され、レストラン・ホテルが社交の中心舞台となるライフスタイルの定着に大きな役割を果した。

彼の創作した多くの料理は今日までメニューの基本として伝わっている。例えば、ネリー・メルバを記念して創られた「ピーチ・メルバ」などが挙げられる。

フランス料理の一流シェフたちも認める現代型厨房施設 日本エスコフィエ協会の取り組み 電化厨房が変える作業環境【 向佐シェフ 】 1902年に初版が刊行された 「 Le Guide Culinaire(ル・ギード・キュリネール) 」 という料理本があるのですが、それがいまだに料理人のバイブルとして読まれているのです。世界中で同じ料理本を共有すると言うのは珍しいことなのです。

ホテルオークラの初代料理長の小野正吉シェフは、エスコフィエの料理を基本的にそのまま引き継いだ方なのですが、私が小野シェフに師事していた頃、レペルトワールという料理人のための辞書は手放せなかったですね。原書しかない時代でしたから大変だったですよ。それで勉強しなさいと言われていました。ノートチェックまでありましたから(笑)。駄目な人は仕事が終わってから呼ばれて「勉強するか辞めるかどちらかにしなさい」と(笑)。

料理人としての地位を確立したエスコフィエは、ヨーロッパ諸国の上流貴族との交わりも多かった。その中でもドイツ皇帝ヴィルヘルム2世からは、「私はドイツ皇帝だが、あなたは料理の皇帝だ」と最大の賛辞を得、「欲しいものがあったら何でも言いなさい」と言われた際に、当時フランスとドイツの間で紛争になっていた「アルザス・ロレーヌ地方をお返しください」と言ったという逸話も残っている。

フランス料理の一流シェフたちも認める現代型厨房施設 日本エスコフィエ協会の取り組み 電化厨房が変える作業環境【 向佐シェフ 】 エスコフィエという人は、料理の世界で得た自らの地位に甘んじることなく、社会貢献にも力を入れた人でした。例えば、残った料理を廃棄処分にしないで、さらに手を加えて今で言うホームレスの人々が集う施設に持っていって食べさせてあげたりしていたようです。

第二次世界大戦の火蓋がまさに切られようとしていた、1935年エスコフィエは89歳で没した。
彼の死後、彼の功績を後世に伝えるため、弟子たちによってエスコフィエ協会が設立された。その正会員として認められることはフランス料理人として一流の証であり、大きな名誉とされてくることになった。

そして、1971年にエスコフィエの確立した現代フランス料理の技術と精神を日本の地において継承することを目的として エスコフィエ協会日本支部(現社団法人日本エスコフィエ協会) が発足した。初代会長には故小野正吉 元ホテル・オークラ総料理長が就任した。



日本エスコフィエ協会

日本エスコフィエ協会

http://www.escoffier.or.jp/

初代会長・故小野正吉(ホテルオークラ総料理長)が中心となり、日本の現代フランス料理の草分けともいえる25人の料理長が集まり1971年に創設。

近代フランス料理の祖オーギュスト・エスコフィエの弟子たちにより”エスコフィエが確立した近代料理術と伝統の継承と発展、調理技術の再教育などを目的としてフランスで設立されたエスコフィエ協会”の精神を基に、現在では、5代目の浅野和夫会長(マキシム・ド・パリ顧問)のもと、2007年9月に文部科学省から「社団法人日本エスコフィエ協会」の認可を受け、約1800名の会員の所属する協会として幅広い活動を行っている。

取材協力 担当シェフ 向佐勝氏(元ホテルオークラ、赤坂迎賓館総料理長)
事務局次長 伊藤彰彦氏

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