自分の店を持つためには何をすればいいのか? 外食産業で働く若い方なら、誰もが考えたことがあるのではないでしょうか。「起業家への道」では、実際に起業へ向けて行動を起こしている方々の思いや活動内容をブログを通じて語っていただくとともに、その活動レポートを紹介して、『自分の店を持つ』ことを応援していきたいと考えています。
最初にご登場いただくのは、来年には居酒屋個人店の開業を目指しているという柳生久輝さん。まずは、ブログ・バーの連載開始に先がけて、彼の人物紹介からスタートします。
『異色の経歴? 美大生からデザイナー、そして居酒屋店主へ』
■柳生久輝さんは、昭和 52 年 3 月生まれの現在 29 才。都内の居酒屋グループ店で店長を務めながら、起業へ向けて動き出しています。美大生時代にグループ系列店でアルバイトを経験後、某酒造メーカーへ広告製作のデザイナーとして就職、そこから転職して居酒屋グループの正社員、さらにこれから脱サラして起業という経歴をお持ちです。異色ともいえる経歴ですが、なぜ外食産業へ身を投じることになったのでしょうか。
「酒造メーカーの仕事がイヤになったのではなく、居酒屋を出したい気持ちの方が勝ったんです。メーカーとして自分たちがどんなにいい商品を作っても、酒屋や飲食店など売る場所の方が立場が強いという現場を目の当たりにした。それで、売ってる場所が一番エライんじゃないか、おもしろいんじゃないかと思ってしまって…。 24 ~ 25 才位でしたから、若気の至りというか勢いで辞めてしまったようなものですけど(笑)」
■バイト経験のあるグループへ転職ということになるのですが、実は面識のなかった社長さんへ直接コンタクトを取って、店を持つために働きたいという思いを伝えたそうです。
「メーカーを辞める前に独立している居酒屋の先輩と飲む機会があって、店を持ちたいという話になったら、その先輩から“社長に直接電話しちゃえ”といわれて…。何を思ったか本当に連絡してしまった。もちろん、バイトをしていた居酒屋の店長からは順番が違うと怒られましたよ」
■現在、店長を務める店が新規出店するタイミングで社員になったわけですが、酒造メーカーから居酒屋へ転職、そして起業を目指しているということに対し、ご家族の反対はなかったのでしょうか。
「もちろん大反対でしたけど、説得しました。実は、出身高校が進学校で美大に行くといった時にも大反対されたんです。美大=絵描きというイメージしかなかったのを何とか説得したという前科( ? )もあるわけです。それで、デザイナーになったと思ったら、今度は居酒屋ですからね。そりゃ親にしてみれば反対でしょうね…。転職は、完全な事後承諾にしました(笑)。公務員をしている親から見れば、完全な水商売ですから心配でしょうが、今は好きなようにやれといってくれます」
『店長として学んだこと、成功したこと』
■社員を 2 年強経験した後、店長に就任。そこで、チームを率いて店を動かすおもしろさ、いろいろな実験的な試みも体験してきました。また、畑違いと思っていたデザイナーの経験が活かせることにも気付いたそうです。
「メニューの書き方や内装だけではなく、色彩や立体的な盛り付けなど、美大で学んだことが料理にも活かせることに気がつきました。あながち遠い世界ではないのかもしれないですね」
■ユニークな試みも多く、オリンピックやワールドカップにちなんで選手の名前をもじったドリンクメニューも用意したそうです。
「ただの語呂合わせなんですけどね。今井メロンとか黒スグリが入ったものとか。ワールドカップのときには、ハットトニックなんてのもありましたね(笑)。居酒屋ってなんでもありだと思いますから。
朝、教育テレビで見たレシピをそのまま出したことがあったんですが、それだけじゃ売れません。わざとメニューに“ NHK3 チャンネルでやってた○○”って書いたらよく出たし、スタッフとお客さんのやりとりも生まれておもしろかった。僕なんかが純粋に料理で勝負したら負けちゃいますからね。わざわざ厳しいところで勝負しなくても、アイデアでおもしろさを出せればいいかなと思っています」
■また、店長になって目指したのは、店の雰囲気に応じて女性客を増やすこと。女性の好きな食材を集めて、そこから新メニューを提案したり、デザートや果実酒を増やすなどの試みで、実際に 7 割近くを女性客にすることにも成功しています。
「店は積み重ねで動くものだから、一概に自分が店長になって成功させたとは思っていないです。実際には、前の店長がやってきたことがいいだけもしれないですから。社長や先輩たちを見ていると、デザインを専門に勉強していないはずなのに、理にかなったことをやっているのはすごいと思います。実践で覚えているんですね。学校で学んだことより、いいことを教えてくれますし。店を経営することが本当におもしろいと思わせてくれました」