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東大在学中の1950年、日本マクドナルドの創業者である故・藤田田氏は藤田商店を設立した。通訳のアルバイトをしながら培ってきた 「ユダヤ商法」 により、女性客をターゲットとした宝石、ブランド商品、雑貨等の輸入で大成功を収める。
1号店出店予定地として、藤田氏は銀座 4丁目の三越百貨店内に決定。その時の三越百貨店の店長は、あの岡田茂氏。この強引な決定にアメリカ本社は難色を示す。アメリカでの外食は、サバーバンと呼ばれる新興住宅街を中心に、≪この章 第一回目≫で述べたドミナント展開をすることによって発展してきた。 当時の藤田氏にどれほどの外食出店ノウハウがあったのかは解からないが、銀座4丁目の出店は目立つことは間違いない。マクドナルド出店からさかのぼること9ヶ月前、アメリカ方程式通りにオープンしたKFC名西店が苦戦していた(第一回目参照)事実もある。そして、 1971年7月20日、たった39時間しか与えられなかった工事期間をクリアし、日本マクドナルド1号店はオープンした。マスコミ各社は、アメリカの顔であるマクドナルドの日本出店を大々的に報じ、TVでは歩きながらハンバーガーを口にする若者達の行動や躾について熱い議論が交わされていた。
出店計画はそこでストップし、出店基準の見直し、コンセプトの再構築に時間を費やした。大きな政策転換は、自分たちの 「商品」 は “ハンバーガー” ではなくて、“ファッション” だというコンセプトに転じたこと。マスコミでの取り上げられ方も、ホットファッション的な扱いだった。これも事実は藤田氏と広告代理店とで仕掛けたマスコミ操作だったのだが…。そして、ターゲット層は大人から子供へ移り、「 楽しさ 」 を売る企業へと転化していったのである。
2号店、3号店の失敗はすかいらーくも経験済みだ。ひとつの外食産業成功法則ともいえる現象である。失敗しないに越したことは無いかもしれないが、失敗したことによって、逆に強さを手に入れることも真理なのである。
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