モスフードサービスは、故・櫻田慧氏によって創立されたが、前職を独立後に現社長である厚氏をはじめ他数名で、おにぎりの販売をしていたことはあまり知られていない。だが、すぐに方向転換をしてハンバーガーに着目したのである。証券会社時代のアメリカでの “ ハンバーガー体験 ” が起業のきっかけとなった。
「 (日本のマクドナルドの)盛況振りを目の当たりにして櫻田氏が得たものは2つ。ひとつは “日本にハンバーガーの時代が来る” という確信。もうひとつは自分がハンバーガー屋になるなら “逆のことをやる” という発想であった。」(外食企業物語 本文通り)。
単純にアメリカ生まれの商品を持ってきたのではなく、それを研究し尽くして日本流にアレンジしたところに櫻田氏の非凡さと情熱を感じる。「作り置きはせず、注文を受けてから調理をする」 「隠し味に味噌を使ったミートソース」 「バンズも特注品」 「パティに玉ねぎを混ぜ、マイルド感を出す」。こうやって完成した 「モスバーガー」 は、120円で提供された。当時、一般的なハンバーガーが60円~80円だったので、かなりの割高感があったが、価格よりも味にこだわったのである。
1972年3月、4月と実験店を出店させたが失敗に終わる。成増商店街の地下と中野ブロードウェイ2Fの、いずれも2坪程度の店では結果はしれたものだ。立地条件は売上に大きく影響するからだ。特にFF業態の場合は、1Fでの出店は必須であろう。現在の大戸屋のように、わざと地下や2Fに出店して、女性客の誘導を成功させたのとは事情が違う。
資金難もあって、安い三等立地を選択せざるを得なかったようだが、これもすぐに方向転換して、成増駅前の八百屋の隣に事実上の1号店をオープンさせている。櫻田氏がアメリカで感動したハンバーガー体験から、実に10年近くの年月が経っている。昨日や今日で 「飲食店でもやろうか」 といった生半可な想いではない。何が何でも成功させようという熱い想いが、彼ら大手チェーン企業の創業者達から感じ取ることができる。
その後のモスは、まさに商品開発の歴史といってもいい。1号店オープンの翌年に開発された 「 テリヤキバーガー 」 が大ヒットして、今でもモスといえばテリヤキというコアなファンが多い。革命的な開発は、1987年に登場した 「 ライスバーガー 」 だろう。ハンバーガーという枠の中で、見事なまでに時代を反映した商品の開発は、今も行われており、他のハンバーガーチェーンとは一味違う商品力で、顧客を獲得して店舗拡大を果たしている。
もうひとつ、櫻田氏が手掛けた画期的な店舗拡大手法は、フランチャイズ・システムの導入である。単なるフランチャイザー(本部)とフランチャイジー(加盟店)の関係ではなく、コンセプトと夢を共有できる人間のみと契約したのだ。100人の希望者がいたら、僅か数人しか契約ができなかったとも言われている。つまり、心で繋ぎ合えることが条件になっていたのだ。商品ばかりでなく、フランチャイズ展開でも日本流の要素を取り入れた櫻田イズムが感じられる。ちなみに、モスは1979年に100店舗を越え、1986年に500店舗、1988年には東証二部に上場を果たしている。
モス誕生のきっかけとなったマクドナルド、ファミリーレストランチェーン・すかいらーくという FF・FRの両雄も、一見順調に成長してきたように思われるが、実は創業期では大きな障壁にぶつかっているのである…。
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