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まずは、本サイトの 「 外食企業物語 」 を改めてご覧いただきたい。華々しくスタートを切ったあと、次の店舗が思うような売上が上がらず、自社のフォーマットを全面的に見直して再スタートしたという 「 日本ケンタッキー・フライド・チキン 」(KFC) の例がある。1970年に外食産業勃興の起点となった大阪万国博覧会が開催され、その中のアメリカ館でKFCは実験店として運営された。連日、高売上を記録し、万博開催中の7月には日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社が誕生する。実験店の大成功を受け、万博後の11月には実質的な1号店となる 「 名西店 」 を名古屋市西区にオープンさせるが、これが失敗してしまう。 「 …原因は、アメリカでポピュラーだったドライブインスタイルの郊外型店舗をそのまま持ってきてしまったことだ。 70年初頭の国内の自家用車保有率はわずか20%程度。当たり前といえば当たり前の話だが、お客さんが来られないところに店を出しても売れないというわけである。」(外食企業物語 本文通り)。
KFC名西店の失敗は、保有台数の問題よりも、アメリカでの標準モデルである 「 ドライブインスタイルの郊外型 」 の店舗をそのまま持ってきたことなのだろう。成功するにはそれなりの理由がある。アメリカでの外食産業の歴史の深さ、アメリカ国民の食生活、車の利用動機とその価値等、当時の日本とはまったく異なる環境がアメリカにはあった。そこで生まれたフォーマットをそのまま持ち込んでも成功は難しい。1970年以降、アメリカで大成功を収めているFF(ファストフード)系企業が、鳴り物入りで日本に上陸しているが、そのほとんどは失敗に終わっている。
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