『失敗は成功のもと』という言葉があるが、まさにその言葉を実体験した経営者が株式会社ワールド・ワンの河野圭一社長である。飲食店で起業するも数年で儚くも撤退、その後プロレスラーという異色の経歴を経て、再度飲食店の経営に乗り出し、いまでは神戸三宮地区に11店舗(内1店舗は大阪・京橋)を構えるまでになった。今回は河野社長に失敗から学ぶ飲食店経営についてお話をお伺いした。
- 最初の飲食ビジネスを失敗されてからのお話をお聞かせ下さい。
初めて出した創作料理店は大失敗に終わってしまいましたが、後から考えると失敗して当たり前なんです。何の苦労もせずにテレビに取り上げられ、流行に乗っていただけで、飲食店経営の知識もなく、理念もコンセプトも無く、そのための勉強も努力も全くしていませんでしたから。
次についた仕事がプロレスでした。27歳でデビューした遅咲きのプロレスラーでした(笑)。ちっちゃい頃から格闘技が大好きで空手をずっとやっていました。確かにプロレスファンだったんですけれどプロレスラーを目指していたわけではありませんでした。たまたまあるプロレスの団体の方とご縁がありまして、その方に急に試合を組まれて、「 えいやー 」 と試合して、それでプロレスラーになったわけです(笑)。半年後にはメキシコにいました(笑)。「 メキシコに武者修行に行って来い 」 ということで1年弱位メキシコでトレーニングを積んで帰ってきました。
プロレスは1年中巡業していまして、東京や大阪などの大都会から地方の片田舎まで全国津々浦々で試合をするわけです。試合をしてはバスやトラックで次の町や村へ移動してまた試合をするといった生活で、全都道府県で試合をしました。田舎町を車で移動していると景色がまたいいんです。田園風景が広がっていて、茅葺や瓦葺の民家があって、やっぱエエよな日本って。少し大きな町に行くとユニクロがあって、マクドナルドがあって、ケンタッキーフライドチキンがあってと秋田県に行っても大分県に行っても 「 どこかで見た風景だな 」 というのがあるじゃないですか。確かにそれで便利になったことは間違いが無いんですけど、失ってはいけない風景もあると思うんです。文化として変えていかなアカン部分はあると思いますが、変えてはアカン部分もあると思うんですよね。
試合が終わるとその土地、土地でご飯を食べるんですけれど、これが良いんですね。田舎なんかで食べる郷土料理が。郷土で取れる食材があって、美味しく料理されて出てくる。「 こんな珍しい食材神戸では買えへんな 」 「こんな料理神戸では食べられへんな 」 「 だけど美味しいよな 」 と感じることが多々ありました。でも食堂のおじちゃん、おばちゃんもお客さんもみんなお年を召されているんですね。若者がほとんどいないんですよ。田畑で働いている方もお年を召されている。高齢化が進んだ、過疎化が進んだ田舎町の食材や郷土料理は後を継ぐ人がいなくなって、もうつくれへんようになるんちゃうか、消えてしまうんちゃうかって思いました。みんなが便利になる、豊になるってイコール進化していくこと、変わっていくことではないなということが心の葛藤というか、プロレスをしながらも色々と考えさせられました。
27歳でプロレスラーとしてデビューしてから5年近く無理やりやったもんですから怪我続きで、あらゆる身体の部分を骨折して、欠場しては復帰、復帰しては欠場という生活を続けていました。5年近く続けて、もう、ちょっと限界やなと思いました。そうした中で郷土料理というものに出会って、志半ばで挫折をして後悔が残る止めかたをしてしまった飲食店をもう一度やりたいと言う気持ちが強くなってきました。若い頃はお店を出すことがゴールやったな。自分の店を持ちたい、自分の店を持ってこんな料理を出したい、こんな内装でこんな店をしたいと何か自己満足の世界やったな。次ぎやる時には、自分の店を持つとか持たないとかという価値観ではなく、店をやる意義・意味・信念というものを持ち、お客様や一緒に働くメンバーに対してもちゃんと向き合っていこうと考え、是非もう一度飲食店をやりたいと言う強い気持ちで、プロレスラーを引退して、2002(平成14)年の2月に三宮で沖縄の郷土料理店を始めることになりました。
株式会社ワールド・ワン
http://www.world-one-group.co.jp/
みんなが世界に向けて一つになって、世界でたった一つの、そして世界で一番のチームをつくりたいとの想いから名付けられた。
代表取締役 社長 河野圭一氏
1971年 兵庫県神戸市出身
1996年 株式会社ワールド・ワン設立
自動車整備士、プロレスラーという異色の経歴を持ちながらも2002年神戸三宮に沖縄郷土料理店「modern食堂 金魚 本店」を出店。その後ほぼ年間1店舗の出店を重ね現在三宮に10店、京橋に1店の計11店舗を展開中。