『失敗は成功のもと』という言葉があるが、まさにその言葉を実体験した経営者が株式会社ワールド・ワンの河野圭一社長である。飲食店で起業するも数年で儚くも撤退、その後プロレスラーという異色の経歴を経て、再度飲食店の経営に乗り出し、いまでは神戸三宮地区に11店舗(内1店舗は大阪・京橋)を構えるまでになった。今回は河野社長に失敗から学ぶ飲食店経営についてお話をお伺いした。
- まずは、河野社長のご経歴をお教え下さい。
若い時にはホンマ躓きの人生でした。高校は工業高校の電気科でしたが興味があって行ったわけではなかったので、単位が取れなくて卒業が危うかったんです(笑)。6年先輩に物凄く悪かった方がいたんです、その先輩が更生されて自動車の整備工場で整備士として働かれていたんですが、教師から 「 そこに就職するんやったら卒業させてあげる 」 と言われたので、正直この仕事も興味がなかったんですが自動車の整備士になったのです。
1年ほど経った時に突如その先輩が 「 俺はこの会社を辞める、だからお前も辞めろ 」 と言うんですよ(笑)。保険会社からスカウトの声がかかったらしくて 「 俺は(保険会社に)行くで、この道を極めて行くで 」 とさっさと辞めてしまったんです。スクールウォーズの(モデルになった)「 弥栄の清悟 」 じゃないですが、高校時代は地元でも有名なワルだったのです。写真を見ると剃り込みが凄かったですね(笑)。でも会社ではすっかり更生されて、整備士から結構上の方の役職についておられたのです。今考えるとサラリーマン金太郎みたいな人でしたね(笑)。 雨が降ったら仕事を休んだりしたくらい(笑)整備士という仕事に全く興味がなかったこともあり 「 じゃあ僕も辞めます 」 と1年ほどで退職しました。“ 興味がない道に進むと長続きしない ” というお手本みたいな4年間でしたね(笑)。
それからは今で言うところのフリーターですね(笑)。カラオケバーでタンバリンを叩いて、女の子が歌うとそれにあわせて 「 はいはいはい 」 と(笑)。そんなアルバイトをやっていたのです。 でもその時に初めてまともに仕事をしましたね。365日朝から “ 朝 ” までほとんど休み無しで仕事をしていました。ただ、飲むのが仕事なんで毎日飲んで、毎日二日酔いでしたが(笑)。
そのお店で働き始めてから2年ほど経った時に三宮でお店を持たせてもらったのです。嬉しかったですね。一生懸命に働いていた結果でしたからね。ついていないのが、それから暫くして阪神・淡路大震災に見舞われてしまいました。折角任せてもらったお店が潰れてしまいました。これが23歳の時でした。
神戸の惨状は言葉では言い表せないほどでしたので、大阪のミナミに行って、一からやり直そうとカラオケバーを始めました。これが起業家への第1歩でした。もちろん手持ち資金はそれほどありませんでした。小さいお店やったんで、家賃だけのリーススナックみたいなものでした。やはり最初は震災の影響で厳しかったのですが、段々と業績も上向き、お店も何店舗か持てるようになり、うまく行っていたのですが、ここでも毎日お酒を飲みながらやっていましたので体を壊してしまいました。まさに身も心もぼろぼろという状態でした。
このままじゃアカンと思いました。そこで26歳の時にお酒だけでなく、ちゃんとした食事を出す飲食店をやろうと思い再び三宮で、ダイニングバーを始めました。” ちゃんと ” さんとかが流行り始めた頃で、創作料理の店にしました。ここも小さい店やったんですけれど、店内に水槽を置いてクラゲを飼ったりしていました。正直、飲食店の知識も経営の知識も何も無く、真似事で創作料理を出していたんですけれど、創作料理とクラゲの水槽がある店ということだけでテレビにもどんどん出してもらって、ホンマ何の努力もせずに予約をしなければ入れない店みたいに繁盛してしまいました。
飲食店の怖さを知ったのはこの時でした。半年も経つとお客さんが全く来られなくなったんです。小さい店でしたが、あれだけお客さんで混み合っていたのに、潮が引くようにさーっといなくなってしまったんですよ。オープン半年で。
最初は一日一組ずつぽつぽつと減っていくような感じで、何かおかしいなと思っている内に全く来られなくなってしまって、そうこうしている内に持っていたお金も底を突き、内装どころかメニューを変えてもメニューブックを作るお金もなくなりました。そうなると悪循環ですよね、やることなすこと裏目裏目に出て、何をやってもうまく行きませんでした。お客様を喜ばせようとか、美味しい料理をお出ししようなどという飲食店では当たり前のことも頭から消えて、どうやって家賃を払おう、どうやってスタッフの給料を払おうというようなことばかり考えていました。ここまで来ると頭がおかしくなりますよね。お客様には来ていただけないですし、お金も底を突いてきているし、最後にはスタッフにまで裏切られてしまいました。ホンマに精神的にもおかしくなってしまいました。失敗、失敗、大失敗です。もうお店を閉めるしかなくなってしまいました。
株式会社ワールド・ワン
http://www.world-one-group.co.jp/
みんなが世界に向けて一つになって、世界でたった一つの、そして世界で一番のチームをつくりたいとの想いから名付けられた。
代表取締役 社長 河野圭一氏
1971年 兵庫県神戸市出身
1996年 株式会社ワールド・ワン設立
自動車整備士、プロレスラーという異色の経歴を持ちながらも2002年神戸三宮に沖縄郷土料理店「modern食堂 金魚 本店」を出店。その後ほぼ年間1店舗の出店を重ね現在三宮に10店、京橋に1店の計11店舗を展開中。