旬の素材を使った九州の郷土料理や各地の銘酒などをそろえた渋谷・宮益坂の「和ダイニング 美醤」を経営する和田孝志氏は、千葉ロッテマリーンズで活躍した元プロ野球投手という経歴の持ち主。現役選手の副業ではなく、引退後に1から飲食業を学び始め、昨年自分の店舗を持った和田氏から、昨今の独立開店事情を語っていただきます。
皆さんと同じように、食べることが好きで、お客さまと接するのが好きという動機で飲食業を志したのですが、それまでの経緯は全然違うかもしれませんね。千葉ロッテマリーンズに 10年間選手として在籍し、それから3年間は裏方として残っていたのですが、その時に球界全体が揺れた球団合併騒動があったのです。結果的にロッテは何事もなかったのですが、ロッカールームに全員が呼ばれ、球団社長から 「 ひとつの船に全員が乗ることはできない 」 とハッキリと言われたのです。もし2チームが合併したら、1球団分の選手・スタッフは丸ごと不要になるので、次の職業を考えようと思ったのです。
すでに30才を越えていてサラリーマンとして出直すことも厳しい。自分で何かやってみようと考えて飲食店を思い付いたんです。アルバイトから始めようと、近所の飲食店に手当たり次第電話して、「 お金はいくらでもいいから勉強したい 」 とお願いしましたが、あっさりと断れましたね。すべては35才という年齢が原因で、暮らしていけないから引き受けられないというわけです。お金の問題ではなく、飲食を経験をしたいといっても取り合ってもらえないんですね。結局、選手時代に通っていた新宿の居酒屋に、先々飲食をやるかもしれないからバイトをしたいと頼んだら、そこから独立した料理人さんがやっている四谷の居酒屋を紹介されて、シーズンオフに初めてアルバイトを経験しました。それが2004年の12月ですね。皿洗いや掃除だけでしたが、すごく活気がありましたね。テレビでも取り上げられる人気の焼酎居酒屋で、「 こういう店舗を持ちたい 」 という思いを強くしました。バイトを経験した翌年の2005年は、選手の年俸を決める査定担当としてロッテの日本一を経験しましたが、ここでは言えない、いろいろな理由があって(笑)退団することになったのです。
いよいよ飲食業を始めようとして、僕より先に飲食業を始められていた先輩に相談しました。近鉄から巨人に行かれたのちロッテで一緒にプレイした石井浩郎さんです。物件を紹介してほしいとお願いしたのですが、「 そう簡単には見つからないから、とりあえずうちでバイトしながら見つけたらどうだ 」 と勧められて、2006年1月から働かせてもらいました。その2月末には、石井さんが恵比寿で新しい店をオープンすることになって、そこで店長をやってみないかと言ってもらえたのです。アルバイトも断られていた人間に、いきなり店長をやらせてくれるというんですよ。ありがたかったですね。新店ですから、スタッフも作る料理もすべて初めてのものばかりで、僕にとっては意味のある貴重な経験になりました。
和田 孝志
1970年埼玉県春日部市出身。
拓大紅陵高校(千葉)時代には甲子園出場、東洋大に入学後、東都大学リーグでは10人目のノーヒットノーランを達成する。1993年にドラフト3位で千葉ロッテに入団、通算72試合に登板して、2勝3敗・防御梨3.67の成績を残す。
2002年の現役引退は、スコアラー・バッティング投手・査定担当などを歴任、2005年の日本一を経験して退団、飲食業の道へ進む。同じく元プロ野球選手の石井浩郎氏が経営する飲食店勤務を経て、昨年5月末に渋谷宮益坂上にて和食ダイニング「美醤」を開業する。