「串特急」の多店舗展開、「りきしゃまん」の買収などで約150店舗もの飲食店を育て上げたカリスマ経営者・杉山春樹氏。「ジャズを聴きバーボン片手に焼鳥を」という名フレーズやさまざまなアイデアで繁盛店を作り出した、その独創性は、一体どこから生まれてきたのでしょうか。25年の外食経験で得たノウハウを伝えるコンサルタント業、さらにはペット事業などの新規事業にも意欲的に取り組んでいる杉山氏の考えに学んでみましょう。
「串特急」1号店の開業のための資金は、もちろん銀行から調達しましたよ。自己資金は 300万円程度でしたね。国民生活金融公庫から融資をもらえる方向で話が進んでいたのですが、最終的なOKをもらう前に店の工事を始めていたんです。まさか、工事開始前に 1/3 を払い、工期の真ん中でさらに 1/3 、最後に残りを払うということを知らなかった。最後に一括で払えばいいと思っていました。自己資金の 300万円で、とりあえず手付け金として最初は払えましたが、ある時、業者からその支払いシステムを教えられて困りましたね(笑)。すぐに、政府系金融機関の商工中金へ借りに走りました。午後3時を過ぎていたので裏口から…。「子供の病気もあって沼津で独立をしたいので、融資してくれないか」といきなりお願いしたら、「何でもっと早く言ってこなかったんだ。君ならすぐに貸してやったのに」と言ってもらえたんです。私が「嵯峨野」で6年間やってきたことを知っていてくれたんですね。午後3時過ぎに行っているのに、「明日の10時までにOKかどうかの返事を下さい」と無謀な要求をしました。業者への支払い期限が決まっているから、ここがダメなら、他で金策をしなきゃいけませんから…。結局、「嵯峨野」での実績が信用されて、翌日に1300万円を融資するという連絡が入りました。
工事費は 1300万円でしたが、今考えるとものすごく高いものでしたね。別の業者さんに、「これ位の内装だったら800万円で作る」と言われてしまいましたが、そういう知識すら持っていなかった訳です。いわゆる焼鳥屋の内装だったら、もっと安くできたかもしれませんが、「カウンターをこんな風にしてくれ」「スポット照明にしてくれ」とか、私がいろんな要望を出したために高額になってしまいました。
借金だらけの中で学んだことは、サラリーマン支配人でも経営者と同じ思いでがむしゃらに働いていれば、他の人が見ていてくれる、理解してくれる、そして融資にもつながるということです。これは、自分が独立してから得られる信用では絶対にないのです。「サラリーマンの身ではできないけど、独立したらやります」という理屈は成立しません。サラリーマンの時に頑張れない人間が、独立したからといって頑張れるものではない。独立しようとしている店長たちには、「今、頑張りなさい。そこを自分の店だと思って頑張れば、それだけスキルが身に付くし、周りも見ていてくれるから、独立しても応援してくれるよ」と伝えています。それは、自分が 6年間サラリーマン支配人をやって、年商2億円までもっていって会社に貢献できたという経験から確かなことだと思います。
とにかく、人より早く出社して、人より遅くまで働くことです。店長である自分が動いて、自分が結果を出さなかったら人はついてきません。私が 27歳でサラリーマン支配人になったときは、私より年上のスタッフばかりで、「ああしろ、こうしろ」と言ってもダメでした。まず、自分が勉強して結果を一つ一つ出していく。その一方で、時間があれば自分は営業周りをしていました。そういう努力する姿を人が見てくれて、評価や信用というものになるのです。
杉山 春樹
1954年愛媛県生まれ。3歳から伊豆・湯ヶ島で育つ。東京電力学園に入学後、東京電力入社。一国一城の主を目指して脱サラ。京料理店の支配人として修行し、1987年に焼鳥屋「串特急」の1号店を開業。「ジャズを聴きバーボン片手に焼き鳥を」のフレーズで女性客の人気を博す。ダイエー子会社の「りきしゃまん」を買収して東京にも進出、合計で150店に近い数の飲食店を作り上げる。外食業への従事25周年を期に代表を辞任、独立を支援するコンサルタント業のほか、ペット事業・インターネット事業などの新しい挑戦を常に続けている。
株式会社杉山春樹事務所 代表取締役社長
株式会社ドリーム 代表取締役社長
株式会社リラクコーポレーション 代表取締役会長
グローバルバンク株式会社 オーナー