楽しくなければ、起業も繁盛もない!なりたい自分の姿を常に描いて生きよう!!

起業のためのネット講義 楽しくなければ、起業も繁盛もない!なりたい自分の姿を常に描いて生きよう!!(株)杉山春樹事務所 代表取締役/杉山春樹

串特急」の多店舗展開、「りきしゃまん」の買収などで約150店舗もの飲食店を育て上げたカリスマ経営者・杉山春樹氏。「ジャズを聴きバーボン片手に焼鳥を」という名フレーズやさまざまなアイデアで繁盛店を作り出した、その独創性は、一体どこから生まれてきたのでしょうか。25年の外食経験で得たノウハウを伝えるコンサルタント業、さらにはペット事業などの新規事業にも意欲的に取り組んでいる杉山氏の考えに学んでみましょう。

第3回 地道なマーケティング活動で、焼鳥屋の既成概念を覆す!

第三回 地道なマーケティング活動で、焼鳥屋の既成概念を覆す!

(株)杉山春樹事務所 代表取締役 杉山春樹素人がいきなり支配人になるという形で外食を始めたのですが、全国規模でお客さんができたことで、 1年目の年商は1億1000万円になりました。それで初めて、外食がおもしろいと感じました。そして、「 せっかくこの店にいるんだったら、給料をもらいながら勉強をさせてもらおう、徹底的に利用させてもらおう 」 と考えるようになりました。それから、がむしゃらに頑張りました。

地道なマーケティング活動で、焼鳥屋の既成概念を覆す!まずは、会社の社長に900万円を出してくれとお願いして、店内の売店を拡張しました。店のレジ周りにちょこっとあるような売店では、頑張っても年間300万円程度の売上しかない。それではもったいないので、売店を拡張したところ3000万円の売上になりました。それから、1500万円位を追加投資して駐車場にハンバーガーショップを作りました。社長は、誰が運営するかが問題だと言っていましたので、私が自分でやりました。昼はパートに任せて、夜は私が店に入る。そこも、結局2000万円の売上になりました。毎日店に通い、定休日の火曜には営業周りをする。東京から名古屋まで行って、予約をいただいていました。店は130席なのに、毎日平均300人の予約がありましたね。最高記録は1日576人です。そういう積み重ねがあって、6年目には年商2億円になっていました。

そんな時、長男が腎臓病を患ってしまい、それを契機に店を辞めようと決意しました。がむしゃらに 6年間働きましたが、家を顧みなかったんですね。それから、本格的に独立を考え、最初はコンビニエンスストアをやろうと思いました。2階に住んで、1階で店ができれば、子供の面倒も見られますからね。しかし、近所のコンビニオーナーと話をしてみると、昼の時間帯はパートに任せて、自分たち夫婦は夜中にやっているというんです。コンビニをやるんだったら、自分で顧客管理をして、自分なりのイベントをやろうと考えていたのですが、そういったことも一切できないらしいので諦めました。

地道なマーケティング活動で、焼鳥屋の既成概念を覆す!改めて何をしようか考えていた時に、東京電力時代に通っていた焼鳥屋を思い出しました。午前中は東電の掃除婦をやっているオバサンが、夜になると3坪の焼鳥屋を営業していたんです。6年間、京料理店を経営し、メニューから何から自分で作ったんだけど、包丁を一回も握ったことがない。せいぜい、翌日の準備と皿洗いを一人で深夜までやる程度。そんな自分にできるのは焼鳥屋だろうと思ったんです。

でも、「 東京電力を辞めた人間がただの焼鳥屋かよ 」 言われるのは格好悪いという変なプライドもありました。だから、焼鳥を徹底的に調べてようと思い、まずは、スーパーの店頭にあるお持ち帰りの焼鳥屋をあちこち見に行きました。そうすると、スーパーで焼鳥を買う人のほとんどが、 20代後半から30代前半の主婦なんです。焼鳥屋は、飲んべえが集まる場所だから、私は男性しか意識していなかった。ところが、買っていく人は女性ばかりで、聞き取り調査をしてみると、ご主人が帰ってきた時のおつまみであり、子供のオヤツでもあるんです。さらに、焼鳥はヘルシーだから自分たちも大好きだという声がたくさん出てきたんです。

(株)杉山春樹事務所 代表取締役 杉山春樹油と煙だらけの店に演歌が流れ、酔っ払いの親父がホッピーや日本酒を飲んでいる。たまに女性が入ってくると、酔っ払いの親父が声を掛けるような 「 いかがわしさ 」 が当時の焼鳥屋でした。もしかすると、ここにヒントがあるんじゃないか、女性向けの焼鳥屋を作れば受けるんじゃないかということで、「 串特急 」 のイメージが湧いてきました。東京をはじめ各地の焼鳥屋を見て回り、自分なりに考えて出てきたのが、「 ジャズを聴きバーボン片手に焼鳥を 」 というタイトルでした。



杉山 春樹

杉山 春樹

1954年愛媛県生まれ。3歳から伊豆・湯ヶ島で育つ。東京電力学園に入学後、東京電力入社。一国一城の主を目指して脱サラ。京料理店の支配人として修行し、1987年に焼鳥屋「串特急」の1号店を開業。「ジャズを聴きバーボン片手に焼き鳥を」のフレーズで女性客の人気を博す。ダイエー子会社の「りきしゃまん」を買収して東京にも進出、合計で150店に近い数の飲食店を作り上げる。外食業への従事25周年を期に代表を辞任、独立を支援するコンサルタント業のほか、ペット事業・インターネット事業などの新しい挑戦を常に続けている。

株式会社杉山春樹事務所 代表取締役社長
株式会社ドリーム 代表取締役社長
株式会社リラクコーポレーション 代表取締役会長
グローバルバンク株式会社 オーナー

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