楽しくなければ、起業も繁盛もない!なりたい自分の姿を常に描いて生きよう!!

起業のためのネット講義 楽しくなければ、起業も繁盛もない!なりたい自分の姿を常に描いて生きよう!!(株)杉山春樹事務所 代表取締役/杉山春樹

串特急」の多店舗展開、「りきしゃまん」の買収などで約150店舗もの飲食店を育て上げたカリスマ経営者・杉山春樹氏。「ジャズを聴きバーボン片手に焼鳥を」という名フレーズやさまざまなアイデアで繁盛店を作り出した、その独創性は、一体どこから生まれてきたのでしょうか。25年の外食経験で得たノウハウを伝えるコンサルタント業、さらにはペット事業などの新規事業にも意欲的に取り組んでいる杉山氏の考えに学んでみましょう。

第2回 突然、京料理店の支配人に抜擢。素人ながら的確な差別化で成功へ

第二回 突然、京料理店の支配人に抜擢。素人ながら的確な差別化で成功へ

突然、京料理店の支配人に抜擢。素人ながら的確な差別化で成功へ脱サラを考えるようになって、せっかくだから、今のうちに世界を見てみようと海外旅行に出掛けました。17ヶ国を回る旅の最後に行ったスペインで衝撃的な出会いがありました。30歳でスペインに渡り、物売りから初めて10年後に自社ビルを建てたという日本人を紹介されたんです。決まった人生を送りたくないが、何をしていいか分からなくて、自分に向いているものを探す旅をしていると話したら、「 そんなことをしていたら、いつまでも独立できない。2倍働けば2倍のお金が得られる事業主になりたいんだったら、業種は何でもいい。いろいろ試してその中から見つけてればいいんじゃないの 」 と言われたんです。帰国して、すぐに辞表を出しました。

でも、本当に何をしていいかわからなくて、大変でした。ぼけーっと海を見て考える一日もありました。結局電気屋のアルバイトなどいろいろなことをやっているうちに、外食と出会うことになりました。

(株)杉山春樹事務所 代表取締役 杉山春樹私は、生まれは愛媛県ですが、父が働く鉱山の関係で3歳から伊豆の湯ケ島に来ました。湯ケ島にある 「 嵯峨沢館 」 という老舗旅館が、京料理の店を開くことになり、そこの支配人に突然誘われました。なぜ、私なのか先代の女将に聞き返しましたよ。彼女は、ドラマの 『 細腕繁盛記 』 のモデルになった女将なんですが、「 高校時代に一度だけあなたに会って、絶対にサービス業に向いていると思った。真っ先に顔が浮かんだ 」 と言うんです。そこに、私が東電を辞めてビジネスを探している最中だという話が伝わったようです。母親が旅館の仲居で土日も正月もなく働いていたので、そんな仕事は絶対にするものかと思っていた。本田宗一郎などいろいろなビジネスの成功者の本を読み漁ってきたんですが、外食だけは手を付けてなかったです。唯一、世界で成功したロッキー青木さんの本だけは読みましたけど、外食をやろうという気は全くなかったですね。だから、そのお誘いも3回断りました。

(株)杉山春樹事務所 代表取締役 杉山春樹その頃は、すでに結婚をしていて、プータローのようなアルバイト生活をしていたのですが、子供が生まれたんです。そして、4回目のお誘いで承諾したんですが、3つの条件をこちらから出しました。
(1) 3年後に1億円という目標年商に届かなかったら辞める、 (2) 3年の間に売上が下がったら、それが自分の限界なので辞めさせてもらう、 (3) 辞める時には気持ち良く辞めさせてほしい、という3つです。要するに、「 独立するために脱サラしたので、自分に向かないと分かった時点で辞めさせてくれ 」 ということです。それで、27歳の時に、「 京料理 嵯峨野 」 の支配人に抜擢されたんです。他の飲食の社長さんのように、自分がやりたくてやったわけではないです。一国一城の主になりたい、庭付きの家がほしい、いい車に乗りたい、サラリーマンが描くような3つの夢を目指すための一つの選択肢として、外食に出会ったわけです。

突然、京料理店の支配人に抜擢。素人ながら的確な差別化で成功へ「 いらっしゃいませ 」 「 かしこまりました 」 「 ありがとうございました 」 なんて言ったことがないほどの飲食の素人ですから、住んでいた沼津から通う1時間半の通勤時間には、車内にて大声で唱和していました(笑)。当時は、ドライブイン形式で 700~800円の食事というのが観光地には一般的でしたが、同じようなビジネスをやってもおもしろくないと考えました。高級感を出すために、2000円からというメニューを作り、伊豆半島の中でも有名な旅館を利用する人をターゲットにして営業に歩き回りました。結果的には、それが差別化になって全国規模でお客さんができたんです。東京の病院の先生が、今から出発するから席を取っておいてくれと言ってくれるようにもなりましたね。

外食って、我々が店で待っているだけで、こんなにも人と出会えるものかと感じました。後になって気付いたことですが、東京電力時代にも漏電調査で各家庭に伺うのが好きだったんです。家にお邪魔してブレーカーを検査する仕事で、コンセントなど悪いところも一緒に直したりもしました。それが良かったのかどうかわかりませんが、不思議なことに結構もてて(笑)、17回もお見合いの話が来ました。それを思い起こすと、人と接する仕事が向いていたのかもしれないですね。



杉山 春樹

杉山 春樹

1954年愛媛県生まれ。3歳から伊豆・湯ヶ島で育つ。東京電力学園に入学後、東京電力入社。一国一城の主を目指して脱サラ。京料理店の支配人として修行し、1987年に焼鳥屋「串特急」の1号店を開業。「ジャズを聴きバーボン片手に焼き鳥を」のフレーズで女性客の人気を博す。ダイエー子会社の「りきしゃまん」を買収して東京にも進出、合計で150店に近い数の飲食店を作り上げる。外食業への従事25周年を期に代表を辞任、独立を支援するコンサルタント業のほか、ペット事業・インターネット事業などの新しい挑戦を常に続けている。

株式会社杉山春樹事務所 代表取締役社長
株式会社ドリーム 代表取締役社長
株式会社リラクコーポレーション 代表取締役会長
グローバルバンク株式会社 オーナー

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