「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる ~繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶ~岡むら浪漫 代表取締役 岡村佳明氏

「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる 繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶ

静岡県藤枝市にある「遊酒 岡むら」を始めとして同県内に現在7店舗の居酒屋を経営する岡むら浪漫。代表の岡村佳明氏は「看板をださない」「宣伝をしない」「入口がわからない」という独自のコンセプトで、口コミだけの繁盛店を作り上げてきた。彼のユニークな経営手法は、メディアからも脚光を浴び、今や全国の講演会にひっぱりだことなる。また「居酒屋から藤枝を元気にする会」を立ち上げ、地元の活性化にも積極的に取り組んでいる。そんな多忙な日々を送る岡村代表に、繁盛店つくりの極意を語っていただいた。

第4回 「人は二度死ぬ」~後世に名を残す店

第4回 「人は二度死ぬ」~後世に名を残す店

「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる ~繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶすでにお気づきの方もいると思いますが、岡むら浪漫の店名には、すべて人の名前がついています。おふくろの志津枝という名前にちなんでつけられた 「 しぃぼー 」、「 のぼる 」 は親父の名前です。そして 「 う作 」 「 兼次郎 」 はお祖父さんの名前、「 いきち 」 はひい祖父さんの名前なのです。

実は、おふくろのあだ名をつけた 「 五十海 しぃぼー 」 をオープンさせた後、島田に店を出すことになった際、「 次は親父さんの名前だね 」 と知り合いから言われても、昔から喧嘩ばかりしていた親父の名前なんて冗談じゃねえ、と思っていました。そんな矢先、親父が倒れて、もしかするとこのまま逝ってしまうのかと思うほどの病気になってしまいました。

日乃出町 岡むらのぼる丁度その頃、友人の中村文昭さんの講演会で 「 人は二度死ぬ 」 という話を聞きました。一度目の死は、人がこの世に生を受けた以上誰もが避けられない 「 肉体の死 」 です。それは、その人がどんなに頑張ろうが頑張るまいが、お金持ちであろうとなかろうと、誰もが避けられない死です。では、二度目の死とは、この時代のこの場所にこの人が確かに生きていたということを知っている人が誰もいなくなった時に訪れる 「 存在の死 」 です。普通に生活していたら、子供や孫くらいまでは覚えていてくれても多くは皆から忘れ去られますよね。でも、織田信長や徳川家康や坂本竜馬には二度目の死はきていません。一度目の死は仕方ないけれど、二度目の死は自分の頑張りで300年でも500年でも永遠に来ないようにできる、という話でした。

私はこの話を聞いて、「 よし頑張ろう。自分の二度目の死をできるだけ長くすることが男のロマンだ 」 と強く思いました。そして、この先、親父に万が一のことがあっても、自分の頑張りで親父の「二度目の死」もなるべく長くすることつまり、親父の名前を残すことも自分の役目だと思って、次の店の名前は親父の名前にしようと決心しました。こうして 「 日乃出町 岡むらのぼる 」 が誕生したのです。

紺屋町 岡むらう作自分がこうして生きて存在できるのも、ご先祖様のおかげなのです。そこでご先祖様に感謝という意味で、ご先祖様代表として、親父方のお祖父さんの名前をもらった 「 紺屋町 岡むらう作 」 を次ぎの静岡の店の名前に決めました。そして、おふくろ方のお祖父さんが 「 俺の名はまだか?」 と枕元に立つようになったため(笑)、藤枝の店には 「 ベジタブルバー 兼次郎 」 と名付けました。さらに焼津の店は、親父方のひい祖父さんの名前で 「 港町 岡むらいきち 」 となりました。こうしてご先祖様の名前を店名にすると、自分が守られているような気持になってくるのが、とても不思議です。



岡村佳明氏

有限会社 岡むら浪漫

http://www.okamura-wa.com/

1950(昭和25)年 「はとや」で創業
1970(昭和45)年 「酒房 岡むら」開業
2002(平成14)年 「遊酒 岡むら」開業

「遊酒 岡むら」の他、「喰い処ばぁ 幸」「五十海 しぃぼー」「岡むら のぼる」「岡むら うさく」「VEGETABEL BAR 兼次郎」「港町 岡むら いきち」を運営

代表取締役 岡村佳明氏
1962年10月 静岡県藤枝市出身
著書に「看板のない居酒屋

文:齋藤栄紀
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