「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる ~繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶ~岡むら浪漫 代表取締役 岡村佳明氏

「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる 繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶ

静岡県藤枝市にある「遊酒 岡むら」を始めとして同県内に現在7店舗の居酒屋を経営する岡むら浪漫。代表の岡村佳明氏は「看板をださない」「宣伝をしない」「入口がわからない」という独自のコンセプトで、口コミだけの繁盛店を作り上げてきた。彼のユニークな経営手法は、メディアからも脚光を浴び、今や全国の講演会にひっぱりだことなる。また「居酒屋から藤枝を元気にする会」を立ち上げ、地元の活性化にも積極的に取り組んでいる。そんな多忙な日々を送る岡村代表に、繁盛店つくりの極意を語っていただいた。

第1回 不純なきっかけが始まりだった。~起業の動機と経緯

第1回 不純なきっかけが始まりだった。~起業の動機と経緯

「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる ~繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶ「 岡むら 」 は、元々おふくろが60年前に始めた居酒屋でした。でも実は、居酒屋 = 水商売というイメージが嫌で、僕には店の跡を継ぐ気はさらさらなかったのです。20歳ぐらいの時は、その頃夢中になっていたウインドサーフィンでプロになりたいと本気で思っていましたので、「 毎日海に入るためには夜働かなくちゃ 」 と夜に働ける場所をいろいろ探していました。そんなある時、ハタと気づいたのです。「 身近にいいところがあるじゃないか 」 と。そこが、おふくろの店だったわけです。昼間は大好きな海に入れるし、おふくろは喜んでくれるし、多少のわがままも聞いてもらえるだろうし、一石何鳥にもなるかも、なんて不純な気持ちで手伝い始めたことが居酒屋業界に入ったきっかけでした。

「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる ~繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶその時私は23歳。それから35歳までの12年間、日中は海、夜は実家の手伝いという生活を続けていました。そのうち、プロを目指す気持ちは、いろいろな現実を知るにつけだんだん萎んでいきましたが、純粋にもっと上手くなりたい、楽しみたいという気持ちでウインドサーフィンを続けていました。更に、店の常連さんの誘いで始めたスノボにも、本格的に取り組んだり、とにかく30歳を過ぎても適当に実家の手伝いをしながら自分の好きなことに熱中し続けていたわけです。

「看板のない居酒屋」でも繁盛店にできる ~繁盛店つくりは人つくり。「岡むら」流商売の極意に学ぶところが65歳になったおふくろがある日、「 40年間この商売をやってきたけれど、母さんにはまだ最後の夢がある。もう1回、この店と家を新しく大きくして建て直したい 」 と言い出したのです。何度も増改築した店舗兼住居の実家はそれほど古びてもいないし、なにしろ引っ越し自体いろいろやることが増えて、海に行く時間も遊びに行く時間も削られるし…私は内心では面倒くさいなあと思っていました。でもおふくろに 「 最後の夢 」 と言われたら断れないし…などとまるで他人事のように聞いていました。

初めて立ったお店 酒房 岡むら(3号店)数日後、この話をある常連さんに軽い気持ちで話したところ、「 お前はいつまでたっても大バカ野郎だな!それはおふくろさんの夢でもなんでもないんだよ。いつまでたってもちゃらんぽらんなお前の将来を案じてのことなんだよ!そんなこともわからないのか!」 って、物凄い剣幕で怒られてしまいました。流石に私もガーンと打ちのめされました。自分はなんて愚かだったのだろうと。そしてその晩、一人で考えた末に、私は一大決心をしました。「 今まで散々遊ばせてもらったんだから、今日を区切りに遊びは一切封印して、止める!明日からは気合入れて仕事に打ち込むぞ!」 と。

これが 「 岡むら 」 の店舗リニューアルのきっかけです。本気スイッチが入った私はここから新生 「 岡むら 」 の店つくりに着手していきました。



岡村佳明氏

有限会社 岡むら浪漫

http://www.okamura-wa.com/

1950(昭和25)年 「はとや」で創業
1970(昭和45)年 「酒房 岡むら」開業
2002(平成14)年 「遊酒 岡むら」開業

「遊酒 岡むら」の他、「喰い処ばぁ 幸」「五十海 しぃぼー」「岡むら のぼる」「岡むら うさく」「VEGETABEL BAR 兼次郎」「港町 岡むら いきち」を運営

代表取締役 岡村佳明氏
1962年10月 静岡県藤枝市出身
著書に「看板のない居酒屋

文:齋藤栄紀
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